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近い将来の地球では、経済や科学技術の発達によって、「男性性」と「女性性」の違いの問題よりも、「人間性」と「機械性(ロボット性)」の違いの問題に大きく移り変わるようになってゆく

6、現代のような経済や科学技術の発達が続いていった暁には、ある時点から「男性性」と「女性性」の違いの問題は、ほとんど気にもされなくなってゆき、「それは、真に人間的か、それとも機械的、ロボット的か」、というような「人間性」と「機械性」、あるいは、「ロボット性」の違いの問題に大きく移り変わるようになってゆく

 第六には、これは、ちょっと言いづらいところがあるのですが、実は、男性性と女性性の問題には、その根本的な奥の部分に非常に大きな矛盾、というか、非常に大きな間違いのような部分がある、ということなのです。

 それというのは、これは、現実の世界のあり様を見てみれば、誰でも分かるのではないか、と私は思うのですが、実際問題として、「その人が、肉体的に男性として生まれたから、本当に男性と言えるのか」、とか、あるいは、「その人が、肉体的に女性として生まれたから、本当に女性と言えるのか」、というのは、その人のその後の生い立ちや性格の様子を見てみると、男性なのに、何となく女性的な性質の強い人もいれば、女性なのに、何となく男性的な性質の強い人もいる、などというように、実際には、なかなか、はっきり言えないようなところがある、ということなのです。

 それというのは、一昔前の時代のように、「男性だから、荒々しく力が強いので力仕事に向いている」、とか、「女性だから、細かな心遣いを必要とするような日常の家事のような仕事が向いている」、などというように簡単に割り切れた時代と違って、現代のような時代になると、機械化の進展によって、それほど大きな力仕事もなければ、また、それほど細かい日常の家事のようなものも必要なくなってきていて、はっきり言うと、男性であっても女性であっても、仕事の内容としては、単純な機械のオペレーターのような仕事や、その研究開発のような仕事になるとあまり大差ないような時代になってきているので、それゆえ、一昔前の時代の人々から見ると、おそらく、たいていの現代人は、「男性なのに、ものすごく女性的な仕事をしている」、とか、「女性なのに、ものすごく男性的な仕事をしている」、などというような人々が、ごろごろいるような時代になってきているのではないか、ということなのです。

 つまり、経済や科学技術が発達し、機械化の進展した現代のような時代には、多くの人々は、一昔前であれば、「それは、完全に女性の仕事でしょ」、というような仕事に、まるで当たり前のように男性が就いていることもあれば、その反対に、「それは、完全に男性の仕事でしょ」、というような仕事に、まるで当たり前のように女性が就いていることが、結構数多くある、ということであるのですが、その先には、これは、まだ現代では、ほとんど誰も予想できないような話になるのでしょうが、だんだん、こうした話自体すら時代遅れになってゆくような事態、つまり、「それは、完全に人間の仕事でしょ」、というような仕事を、まるで当たり前のように半自動の機械やロボットが、黙々と玄人肌の腕前でこなしている、とか、「それは、絶対に機械の仕事でしょ」、というような仕事を、なぜか人間が、「これが、最も人間らしい創造的な楽しい仕事だから」、と言ってやるような時代が、もうすぐそこまで来ている、ということなのです。

 つまり、現代のような男性の女性化や女性の男性化の先には、まだ続きがあって、その先には、機械やロボットの高度な発達によって、これまでの時代のような「男性」と「女性」による人間の区別よりも、「いったい、どのような基準で、その仕事を人間が行うべきなのか、それとも機械やロボットに行わせるべきなのか」、ということが、常に結構細かく議論されるような時代になってゆく可能性が非常に高いのですが、そうすると、そうした、「人間とは、いったい何なのか」、とか、「機械やロボットとは、いったい何なのか」、という議論を何年何十年と積み重ねてゆくうちに、おそらく、ある時点から現代のような作業の効率性や経済性の基準からは打って変わって、「これは、機械でやった方が、遥かに早く効率的にできるのだが、ただ人間が手作業でやった方が楽しいし、よく売れるから、あえて効率的にやらなくても良い部分は、希望の人がいたら、その人に手作業で創造的にやってもらって、その作品を、それを望む人に買ってもらうようなシステムにしておこう」、とか、「これは昔は、人間が全部やるべきことと思われていたのだが、人間がやっても、あまり幸福と思える仕事ではないようなので、あえて厳重な安全体制を敷いた上で、機械やロボットに肩代わりしてもらおう」、などというように、いわゆる、現代のような作業の効率性や経済性重視の観点の仕事ではなくて、人間の幸福性重視の観点の仕事に大きく移り変わってゆく時代になってゆくのではないか、ということなのです。

 そうすると、そうした時代には、男性性や女性性というのは、いったい、どのような扱いになってゆくのか、というと、これを言うと非常に驚かれる方が多いのではないか、と私は思うのですが、実は、現代の地球のような「男性性」や「女性性」の概念というのは、そうした時代には、あまり大した違いの問題とは感じられなくなるようになってゆき、そうではなく、「それは、本当の意味での人間性に基づいたものなのか」、とか、「それは、どちらかと言うと機械的、あるいは、ロボット的な要素なのではないか」、などというように現代の男性性や女性性の違いというのは、だんだん、あまり問題視されなくなってゆき、「それは、人間的なのか、それとも機械的、あるいは、ロボット的なのか」、というような二元性の時代に大きく移り変わってゆく可能性が、現在、どんどん高くなってきている、ということなのです。

 実は、この問題の根っこというのは、非常に深くて、ある意味で、この物質宇宙が成立する以前から、かなり根深く対立し続けてきた大問題であった、というような霊的な事実があるのですが、それはさて置き、要するに、まだ現代の地球では、そこそこ根深く見られるような「男性性」と「女性性」の違いの問題というのは、それほど遠くない将来、「それは、真に人間的であるのか、それとも機械的、あるいは、ロボット的であるのか」、というような「人間性」と「機械性」、あるいは、「人間性」と「ロボット性」の違いの問題に大きく移り変わってゆく可能性が、非常に高くなってきている、ということなのです。

 

Cecye(セスィエ)

2011年12月5日 9:22 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 科学、テクノロジー



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