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Q&A 亡くなった人々とコミュニケーションするには、いったい、どうすればよいのか? Part 1

 前回述べたようなことを言うと、「でも、亡くなった人と、もう会えないのは、とても悲しい」、という方が多いのではないか、と思われるので、今回は、それでは、亡くなった方とコミュニケーションするには、いったい、どうすればよいのか、ということについて、述べてみたいと思います。

 基本的には、前に述べたような自然界の生き物とコミュニケーションする方法とほとんど同じであるのですが、特に亡くなった人間が対象の場合には、次のような四つのことが言えます。

 まず第一には、時間的には、深夜の12時を過ぎてから、部屋の電気を暗くして、手元に、できるだけ雰囲気の出るような1本の白いロウソクを用意して、火を灯(とも)します(これは、冗談です)。

 ということで、一つ減ったので、言いたいことは、次のような三つのことになります。

 

1、たとえ、誰か身近な人が亡くなったとしても、それが、その人との永遠の決別であるなどとは絶対に考えずに、もう少し落ち着き、冷静になって、亡くなった人の魂の声に素直に耳を傾けてみればよい

 では、もう一度、まず第一に重要なのは、とにもかくにも誰か人が亡くなったとしても、「それで、もう二度と会えないんだ」、とか、「あの人に何もしてあげられなかった」、などと深く落ち込んで、悲しみすぎないことが、とても重要になります。

 それというのは、これは、この地上の世界では、なかなか分かりづらいことであるのですが、たいてい、亡くなった人というのは、特に現代であると、だいたい、次のような二つの死後の経験をしていることが、非常に多いからです。

 

①突然の事故や大怪我などで亡くなった場合、周りの人々よりも、その亡くなった本人の方が、非常に慌てふためいて、狼狽しているケースが多いのだが、たいてい、死後2〜3時間も経つ頃には、自分の死を巡る客観的な状況を、霊として、冷静に受け入れ始めていることが多い

 まず一つめのケースとしては、これは、そうした亡くなった本人の方が非常に驚いて、狼狽しているケースになるのですが、特に突然の事故や怪我などの理由による死亡のケースでは、とにかく、その死んでしまった本人の方が、ものすごく狼狽していて、大怪我によって、もはや全く機能しなくなってしまった肉体に、いつまでもくっついたまま、大声で周りの人々に対して、「自分は、まだ生きているんだ!」、とか、「誰か、この傷を治してくれ!」、などと大騒ぎしていることが多いのです。

 ただ、それも、それほど長くは続かなくて、たいてい、そのような形で亡くなって、2〜3時間も経つ頃には、霊として、自分の肉体から離れて、その人の遺体の周りをうろちょろしていたり、あるいは、たとえ物理的な距離は、かなり遠く離れていたとしても、霊になると、物理的な距離が全く存在せず、その人の思うがままに、すぐに移動できてしまうことが多いために、その人の親しい家族や友人などの側に、次々とパッと移動し続けては、自分自身の死を巡る、いろいろな人々の反応を見たり、何とか、「自分自身は、この通り霊としては、まだまだ、ピンピン元気に生きているんだ」、ということを一生懸命、大きな声で伝えようとしていることが、非常に多い、ということなのです。

 ですから、ある程度、霊的な能力のある人が、そうした場所に行くと、その人の肉体には、もうその人自身の個性、というか、生命というのは全く感じられなくなっていて、そうしたその人の肉体ではなく、その人の遺体の周りや、あるいは、その人自身とは全く関係ない所に、その人の個性を感じることが非常に多い、ということなのですが、たいてい、こうしたケースの場合には、大怪我で使い物にならなくなった、その人の肉体とは全く対照的に、まだ死の直後だと、その人の霊体が、多少傷ついているように見えることもあるのですが、その人自身としては、全く痛みも悲しみも感じないような状況で、その人の死によって、慌てふためいて、狼狽する多くの人々の様子を、わりと冷静な態度で見ていることの方が遥かに多い、ということなのです。

 

②なかには、自分の肉体的な死というものに全く気付かず、自分自身の強い信念の力によって、死んだ後も、自分の周りに、その人の生前の生活と全く同じような物質世界を投影し続けて、何年、何十年、何百年とほとんど同じような生活をし続けている人もいる

 もう一つのケースは、これは、あまり良くないケースなのですが、肉体的には、亡くなったにも関わらず、その本人としては、なぜか全く気付かずに、生前とほとんど同じような学生生活や仕事や家庭生活を、ほとんどそのままの形でやり続けているようなケースになります。

 これは、その人の生前、信じていた宗教信条や強い信念が、死んだ後になっても、そのままその人の周りに、まるで本物の物質的な存在のように投影されることによって、一種の仮想現実を作ってしまい、その人自身としては、ほぼ死の直後から、そうしたこの物質世界とほとんど瓜二つの仮想現実の世界の中での活動に移行していってしまうようなケースになります。

 こうした、この物質世界とほとんど同じような世界での死後の生活をしている人々が数多くいる、ということは、昔から結構、宗教的には知られていて、それが、「幽界」、とか、「黄泉の国」の生活のように言われていたりするのですが、これに関する現代的な認識としては、これは、「自分や自分の周りの世界は、こうなんだ」、というような、その人自身の強い信念を反映した一種の仮想現実のような世界に、死の直後から、その人の生活全部が、そっくりそのまま移行していってしまったようなケースということになります。

 このもう一つのケースの場合には、その死んだ本人としては、自分が死んだことにすら気付いていないケースが多いので、実というと、こうしたケースの場合、はっきり言って、この物質世界において、盛大な葬式を行ったとしても、そこには、かつてのその人の遺体や骨が置いてあるだけで、その本人としては、この物質世界とそっくりの一種の並行世界のような所で、生前と全く同じような生活をしていると深く思い込んでいることが、非常に多いので、実際問題としては、その本人としては、全く意味がない、ということになってしまうのです。

 

たとえ、誰か身近な人が亡くなったとしても、それをその人との永遠の決別のようには絶対に考えずに、もう少し落ち着き、冷静になって、亡くなった故人の魂の声に素直に耳を傾けてみればよい

 さて、再び話を戻しますが、このように実は、誰か人が亡くなったとしても、その人の遺体や骨や生前の写真の方ばかり見て、「もう、この人とは会えないんだ」、とか、「もう、この人はいなくなってしまったんだ」、などと強く思い込んで、深く悲しんでばかりいるようなことをしていると、たいてい、そうした場所の近くにいるかもしれない、亡くなった故人の霊の伝えようとしている魂の言葉なんて全く分からなくなってしまうので、まずは、とにもかくにも人間の死というものを、その人との永遠の決別のようには、決して考えずに、もう少し落ち着いて、冷静な態度をとって、亡くなった故人の魂の声に素直に耳を傾けてみればよい、ということが言えるでしょう。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年9月7日 9:12 PM, Q&A  / おすすめ記事 / スピリチュアリズム、霊界 / 瞑想



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