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カルマについて Part 3

③近現代以前の地球では、単なる人間関係上のトラブルをすぐに宗教や政治の問題にすり替えて、断罪することによって、霊的なカルマの問題を長く引きずる人々が極めて多かったために、近現代に入ると、この宇宙の創造主の意思によって、民主的かつ現実的に妥当な問題解決のための手段が、全地球規模で模索されるようになっていった

 第三には、これは、言いづらい話なのですが、実は、現在の地球には、こうした形で、たくさんの過去生において、現代人であるならば、ごくごく普通の人間関係上の行為と考えるような話し合いや交流をしなかったばかりに、たくさんのマイナスのカルマを抱え込んでしまった人達が、本当に大勢いる、ということなのです。

 つまり、人間関係上のいろいろなトラブルを普通の人間関係の問題とは考えずに、すぐに宗教や政治の問題にすり替えたり、あるいは、すぐに「罪だ」、「悪だ」、「間違いだ」、「異教徒だ」、「悪魔だ」などと言って、自分の間違いや誤解を棚に上げて、他の人と喧嘩したり、他の人を責め立てたり、いじめたりしたような人々が、少し前の時代の地球には、本当にたくさん溢れ返っているような状況になっていたために、それゆえ、近現代に入ると、この宇宙の創造主の意思としては、宗教的な見方や主張よりも、どちらかと言えば、世俗的な国家の法律や道徳律に基づいた、できるだけ真に平等な人間関係の構築を多くの人々に求めるようになっていったようなところがある、ということなのです。

 つまり、少々、人間関係がこじれたとしても、そう簡単には、宗教や宗派間の争いや、何百年も前の宗教的な戒律に基づく裁判や、あるいは、一握りの権力者の勝手な意思に基づく命令などは絶対に行わせずに、そうではなく、現代に生きる多くの一般市民の代表が決めた憲法や法律に基づいた裁判や調停による問題解決を行う、とか、現代的な常識や倫理に基づく話し合いや補償による問題解決を目指す、というような社会の状況に大きく変化してゆくことになった、ということなのです。

 それというのは、結局、近代以前の、これまでの宗教社会や身分社会での多くの人々の間のもめ事や問題解決の方法であると、この世でのトラブルは、一応、解決したけれど、いざ、その人達が亡くなってみると、死後の霊界では、いつも誰かが、生前の自分の人生を思い出しては、「あいつらは、嘘をついて、自分を陥れたんだ」、とか、「なんで、たかが借金や税金のことだけで、あんなひどい目に遭わなくてはいけなかったんだ」、とか、「どう考えてみても、あんな理不尽なことをする奴らは、ずっと取り憑いて、呪ってでもやらないと気が済まない」、とか、「なんで、いくら正当なことを言っても、身分が下の人間だけが、いつも罪人になるんだ」、などというように、常にどこかで一部の人々の恨みや怒りが溢れ変えるような状況になりやすかった、ということなのです。

 それゆえ、近現代に入ると、こうした宗教社会や身分社会の問題を解決するために民主主義や自由主義を勃興させて、すぐに権力と結びついて、腐敗しやすかった宗教のパワーを少しずつ制限していったり、あるいは、すぐに力をちらつかせて、法律を無視したり、身分的に下の人々の人権を踏みにじるような権力者のパワーをだんだん制限していった、ということなのですが、こうした努力もあって、特にここ数十年ぐらいの間は、人類の過去の歴史と比べると、かなり人間関係上のトラブルというのは、だんだん少なくなってゆきつつある、ということが言えるでしょう。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年8月27日 9:12 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観



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