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アセンション後の世界では、人類の不老不死の理想が現実化するようになってゆく Part 1

 今回から数回に分けて、アセンション後の世界では、人間の若さや寿命というのは、一体、どのような形で変化してゆくことになるのか、ということについて説明してゆきたいと思います。

 

 これは現在、生きている人にとっては、ある意味で非常に素晴らしい朗報であると共に、また、ある意味で非常に大きな失望をもたらすような内容になってくるのではないか、と私は思うのですが、前回、医療の未来に関する予測のところで述べたようにアセンション後の世界において、今後も人類は、さらに病気を減らし、そして、さらに寿命を延ばしてゆくことになるはずなのですが、ここでは普段、普通の未来予測では、あまり触れられないような霊的な観点から見た人類の不老長寿の可能性について、述べてみたいと思います。

 

長い間、人類が心から願っていた健康や寿命に関する三つの願い

 前にも述べたように20世紀から21世紀の現代というのは、数千年前から人類が夢見続けてきた夢や願いというものを、それが良いものであれ、悪いものであれ、ほぼすべて実現し尽くしてしまったような時代であるということであるので、まず20世紀の後半の頃は、多くの人々が長い間、本当に心の底から願い続けてきたにも関わらず、ほとんど叶うことのなかった願いや希望の数々、たとえば、「一度でいいから、戦争にも疫病にも食料難にも会わずに数十年の人生を、自分の伴侶や家族と共に幸せに全うしてみたい」とか、「一度でいいから、国にも家族にも宗教にも縛られず、自分の好き勝手に自分の言いたいことを言い、やりたいことをやって、自由に生きてみたい」などというような願いや希望というのは、おそらく、ほぼすべて、それらを願い続けていた人々の現実的な体験としては、もうすでに実現できたのではないか、というように私は考えているのですが、こうした目で20世紀の中頃から21世紀の現在までの時代を、特に人間の健康や寿命の面から見てみると、私は、次のような三つの願いというものを、長い間、人類は心の底から願い続けてきたのではないか、というように感じています。

 

1、「一度でいいから、重病になった時にも大切に治療されたり、看護されたりしてみたかった」

 まず第一には、これは人類の歴史を見てみると、本当にはっきりしていることなのですが、一昔前の時代というのは、たいていの場合、多くの人々は、ちょっと重い病気にかかった場合には、当時の医療のレベルだと、せいぜいもって、数日から数十日程度が普通だったので、こうした重い病気の場合には、本人としては、もう即、死を覚悟しなくてはならなかったし、また周りの人々の対応としても、そうした、もう死が目前に迫っているような人間に対しては、あまり丁寧に治療したり、看病したりするようなことも、ほとんどなかった、というような時代が非常に長かったので、そうすると、こうした重い病気に対する人類の積もり積もった潜在願望というのは、一体、どのようなものだったのかというと、「一度でいいから、病気になった時にも人間的に手厚く丁寧に治療してもらったり、看護してもらったりしてみたい」というような願望が、多くの人々の心の奥に非常に多く溜まっていたということなのです。

 それゆえ現代の医療も当然、完璧とは言えないし、いろいろ問題があることも確かに事実ではあるのですが、それにも関わらず、特に現代の先進国における医療体制の充実というのは、こうした多くの人々の潜在的な願いというものを、かなり完全に満たすような、そうした人類の永年の願いを叶えるものになっていたということなのです。

 

2、「一度でいいから、おじいさん、おばあさんになるまで長生きしてみたかった」

 第二には、これは、まだ現在でも多くの人々の理想の姿になっていると思うのですが、一昔前には、とにかく多くの人々が、まだ子供のうちに亡くなってしまうとか、もし大きくなっても、まだ若いうちに死んでしまうということが非常に多かったので、多くの人々の潜在願望としては、「一度でいいから、何とか大人になるまで生き延びて、そして、できれば、シワシワのおじいさんやおばあさんになるまで長生きしてみたい」というような潜在願望を抱えていることが多かったのですが、これも現代においては、かなりの確率で、ほぼ実現できるような時代になったということが言えるでしょう。

 

3、「一度でいいから、先生や貴族や宗教家や医者のような、みんなから尊敬されるような立派な人になってみたかった」

 第三には、これは現代人には、もうすでによく分からなくなってきている内容なのではないか、と私は思うのですが、一昔前の時代には、その国の人口のほぼすべてと言ってもよいような90パーセント以上の人々が、ほぼ奴隷階級と言ってもよいような粗末な扱いで、農業や商業や手工業などに従事していた時代が、この地球の歴史では非常に長かったので、そうした一昔前の多くの人々の心の奥には、「一度でいいから、百姓(農業労働者)や町人(商人)みたいに偉い武士や貴族に、いつもいつもペコペコ頭を下げては、一方的にこき使われるような低い身分ではなく、他の人達から一目置かれ、頭を下げてもらえるような立派な偉い人になってみたい」というような潜在願望が、非常に溜まっていたということなのです。

 それが現代のような自由と平等の時代に移り変わって、誰でも努力すれば、自由に教育が受けられたり、自由に好きな職業に付けるような時代になると、そうした多くの人々の潜在願望というのは、一体、どういう形で充足されるようになったのかというと、これは誰でも考えれば、すぐにピンと来ると思うのですが、まず第一には、どんな職業でもいいから、ちょっとでも他人より偉い地位や立場についたら、「他人より自分の方が偉いんだ」とばかりに自分より下の地位や立場の人間に対して、先生気取りで命令調の態度を一生懸命とろうとするようになったり、第二には、少しでもお金に余裕ができると、昔の王様や貴族みたいな格好、つまり、ちょっと背伸びしたような高級品やブランド品で自分の身の回りを固めて、他の人に威圧感を与えようと一生懸命になったり、それから第三には、これは別に普通の善意からなら全く問題ないのですが、他の人を助けるためというよりも、一種の自己満足のために自分の仕事や生活に無理をしてまで、何かの慈善事業に没頭するなどというようなことに傾倒するようになることが非常に多かったということなのです。

 このように健康や寿命の面から見る限り、非常に長い間、人類が願い続けてきた願いや希望に関しては、代表的なものとしては、大体、以上のような三つのものがあげられるのではないか、ということが言えるでしょう。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2010年9月11日 9:47 PM, アセンション後の世界 / おすすめ記事 / 健康、医療



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