Light Symbol

カルマについて Part 4

 カルマの話が途中だったので、今回は、その続きの話になります(再び、ちょっとマジメ路線に戻りますが、こういう文章を書くと、どうしても、そうなりますね・・・)。

 

4、現在の社会では、「カルマの法則」を受け入れることは、それは即、何らかの宗教の「信仰」や「修行」を受け入れることとほとんど同じ意味になることが多いのだが、こうした宗教の「信仰」や「修行」と称する内容に関しても、一定の期間に区切ったり、冷静にその客観的な効果を見定めたりするような、かなりドラスティックな判断が必要なのではないだろうか

 第四には、これも現代では、あちこちで、いろいろ問題を起こしていることが非常に多い内容になるのですが、とにもかくにも多くの人々が、仮に一度でも「カルマの法則」というものを受け入れてしまうと、それに乗じて、ほぼオートマチックに、「それでは、このマイナスのカルマを償うためには、こういう信仰や修行をしなくてはなりません」、とか、「あなたの現在の失敗や不運は、すべて過去生の過ちからカルマの問題が巡り巡って、起きたことなので、今すぐ、そうした過去生のカルマの問題を清算する必要があります」、などという具合に、いろいろな宗教の提案してくる悪いカルマの清算の方法や、より良いカルマを作り出すための方法のようなものを、自分の表面意識としては、あまりよく分からないような状況において、次々と受け入れたり、やらなくてはならないような状況になってゆきがちであった、ということなのです。

 これは、たいていの人は、あまり具体的に考えたことのないような話なのではないか、と私は思うのですが、「カルマの法則」というものを受け入れてしまうと、その後には、ほぼオートマチックに、そうしたカルマの法則に基づいた、いろいろな宗教の信仰や修行のようなものを、次々と受け入れなくてはならなくなるような状況に置かれる人が、これまでの時代には、非常に多かった、ということなのです。

 それでは、そうしたカルマの法則に基づいて、自分や他の人々の人生をより良い方に好転させるような信仰や修行をすると、本当にその人の人生は良くなるのか、というと、これがよく考えてみると非常に不思議なことであるのですが、実は、そうしたカルマの法則に基づいて、何らかの宗教的な信仰や修行にのめり込んでいった人というのは、私の知る限り、その人の人生において、かなりショッキングな大きな災難や、あるいは、何らかの特別な機会でも起きない限りは、その後、何年経っても、何十年経っても、場合によっては、一生死ぬまで、そうした宗教上の信仰や修行をえんえんと続けてゆく人が、非常に多いようなのです。

 つまり、不思議なことにカルマの法則に基づいて、何らかのカルマの刈り取りのための宗教的な信仰や修行を始めた人というのは、「その後、自分は、いったい、どれくらいカルマの刈り取りができたのか」、とか、「今後、どれくらいの期間、どれくらい頑張れば、いったい、どれくらいのカルマの修正ができるのか」、というようなことは、だんだん全く気にしなくなってゆくようなので、その結果、そうした霊的な効果には全く関係なく、何年でも何十年でも、場合によっては、一生死ぬまで、そうした宗教上の信仰や修行をえんえんと続けてゆくことが、非常に多い、ということなのです。

 そうすると、ここで問題なのは、「その人としては、いったい、どんなカルマを、どの程度持っていて、そして、そのカルマは、いったい、どんなことを、どの程度行ってゆけば、確実に清算されるのか」、ということがかなりはっきりしていないと、そもそも、そうした宗教の信仰や修行を行っても全く意味がないはずなのですが、ところが、そうした宗教にのめり込んでしまった多くの人々は、そんな細かいことはほとんど気にせずに、何らかの宗教上の怖い話や、訳の分からない、いろいろな理屈をいったん受け入れてしまうと、なぜかその後は、そうした冷静な態度は、すっかりどこかに吹き飛んでしまい、いつまでも、どこまでも、いったん自分が信じた宗教上の信仰や修行を淡々と続けていってしまうようなところがあった、ということなのです。

 それでは、こうしたカルマの法則を受け入れた上で、いったい、どのような行動をするのが、一番良いと思われるのか、というと、これは、少し難しい概念になるのですが、私は、以下のような二つのことが言えるのではないか、と思います。

 

1、もし、何らかのカルマの解消をしたいのであれば、まず最初の段階において、自分のカルマの明確な分析と、その解決策をしっかりと明確にした上で、何らかの課題に取り組むことが非常に重要になるのだが、もし一定期間が過ぎても、最初に想定したような効果が全く得られない場合には、自分の所属している宗教からの脱会も含めて、再度、冷静にゼロから検討し直す必要がある

 まず第一には、とにもかくにも重要なのは、そうしたカルマの法則に基づいて、自分自身の何らかのカルマを解消したいと考えるのであれば、まず最初に、はっきりさせておくべきなのは、「自分には、いったい、どのようなカルマが、どの程度あって、それが今回の人生に、いったい、どのような影響を与えているのか」、ということと、それから、「それでは、そのカルマの解消をするには、いったい、どんなことを、どの程度行えば、どのように自分の人生が好転するのか」、ということをしっかりと明確にする必要がある、ということです。

 そして、その上で、「それでは、自分としては、いついつまで、こうしたことをやるが、その時点で、もし何の効果も出ない場合には、その宗教を完全に止めることも含めて、いったんゼロベースで、再度、自分がやっていることを全部見直すことにする」、ということを、最初の段階から、はっきり決めておくことが大切になります。

 つまり、医者の病気の治療とほとんど同じように、まずは、霊的なカルマという観点から見た自分の症状の分析と、その治療法を、最初の段階で、はっきり理解した上で、それから、1ヶ月なら1ヶ月、3ヶ月なら3ヶ月という具合に、はっきりと期限を区切って、どんなことをするのか、ということを決めて、何らかの行動はするけれども、もし、その後、何の症状の改善も見られない場合には、いついつの時点で、その行動をきっちりと止める、ということをある程度、最初の段階から、はっきり決めておくようにしておく必要がある、ということです。

 ところが、現在の世の中であると、こうしたカルマの解消みたいな話になると、途端に冷静な医学的な観点、というか、ドラスティックな考え方が、いっぺんに吹き飛んでしまい、なぜか多くの人々が、本当は何かの拍子に、ほんの気まぐれ程度の理由で始めたに過ぎないような宗教的な信仰や修行を、何年も何十年も、えんえんと続けていってしまうことが多いようなので、私は、こうしたカルマの解消に関わるような霊的な内容に関しても、自分の肉体や精神の健康とほとんど同じような態度で、もう少し冷静にドラスティックな態度で取り扱ってもよいのではないか、というように考えています。

 

2、もし過去生のカルマの解消のための「信仰」や「修行」と称する行為によって、現在の自分の学業や仕事や家庭での生活に大きな支障をきたすのであれば、それは、マイナスのカルマを解消しているのではなく、現在の人生において、単にマイナスのカルマを新たに作り出しているだけなので、基本的には、いっけん、それが、どんなに正しい素晴らしい行為のように感じられたとしても、いったん止めるのが賢明なのではないだろうか

 第二には、これは、あまり聞かない話になるのではないか、と思われるのですが、もし、そうしたカルマの問題の解決のために、何らかの宗教的な信仰や修行のようなものに関わったのに、その結果、かえって、自分の学業や仕事や家庭の中で、いろいろなトラブルが増えてくるようになった場合には、私は、それは、何らかのカルマを解消する行為なのではなくて、単に現在の学業や仕事や家庭の中に新たな問題を作り出して、言ってみれば、新たなマイナスのカルマを作り出しているだけの行為であると考えられるので、基本的には、いっけん、それが、どんなに正しい素晴らしそうに見える行為であったとしても、いったん止めた方が賢明なのではないか、というように考えております。

 つまり、最初にも述べたように、まずは何よりも昔のカルマの清算よりも、現在の学業や仕事や家庭での生活において、より楽しく、より効果の高い行動を積み重ね、また、より良い、より楽しい人間関係を築いてゆくことの方が遥かに大切なことであるので、そうした現在の生活を無視して、たとえ何らかの宗教的な信仰や修行のようなものに無理に取り組んだとしても、霊的に見る限り、それは結局、新たなマイナスのカルマを作り出すだけの結果にしかならないので止めた方がよいのではないか、ということなのです。

 

 続く・・・

 

 

 追伸

 ご存知のように、最近、音楽をアップしたのですが、最初、こうやって、ブログを書いた時と同じように、ここで聴いている音と違って、音質面でない問題で、何となく霊的に濁った感じがするので、ちょっと今調べている最中です。

 ですから、うまく行ったら、もう少しすると、もっと音が、すっきり聴こえるようになるかもしれません。

 

Cecye(セスィエ)

2011年9月26日 9:22 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観



«

»

おすすめ記事

過去の記事