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政治家は、その地域の顔であると共に、その地域という総合企業の経営者のような存在であるので、その地域の人々は、選挙の時だけでなく、末永く、その政治家をサポートしてゆくことが、とても大切である Part 4

②日本を初めとする議員内閣制の国々では、なぜか政府と議会の役割が、全く正反対になっていることがあるので、地域の人々は、一定期間ごとに、選挙時の公約に基づいて、ちゃんと政府は、テキパキと、どんどん仕事を片付けているかどうか、それから、選挙時の公約に基づいて、ちゃんと議員は、テキパキと、法律の施行や変更や廃止を、どんどん行っているかどうか、ということを、しっかりとチェックしないといけない

 第二には、これは、なぜか日本を初めとするような、議員内閣制の国々では、よく間違えられやすい内容になっているのですが、国会における議論というのは、あくまで、首相や大臣といった政府の仕事ぶりに対する客観的なチェックと、法律の施行や変更や廃止に関わる内容が中心であるべきなので、基本的には、そこで、そうしたことと全く関わりのない議論や、ヤジや、スタンドプレーのようなことをしても、それと、そうした国会議員の仕事とは、本当は,全く関係ない、ということなのです。

 つまり、これは、言ってみれば、会社の経営において、実際の経営実務に全く関わっていない、平社員の人々が、会社の経営会議において、ああだこうだと、大風呂敷を広げているのと、何ら変わりない風景になっている、ということなので、本当は、こうしたケースの場合には、平社員の人は、普通、自分の上司に当たる経営に携わっている人物に、直接、コンタクトをとって、何らかの具体的な改善策の提案を述べれば、それで十分だし(それが、良い提案なら、普通、採用されます)、また、そうした申し入れに対して、あまりに理不尽な取り扱いをするようであれば、初めて、その時点において、国会のような公の場所で、経営陣、つまり、政府の仕事ぶりのミスや過ちを指摘すれば、それで十分である、ということなのです。

 ところが、現代の日本であると、なぜか、そうした行政府の話が、立法府である国会で論じられたり、あるいは、その反対に、なぜか、立法府で取り扱うはずの法律の運用に関する打ち合わせや詰めのような話が、官僚を中心とした行政府で論じられたりしているので、これでは、客観的に見る限り、実質的に、行政府と立法府の役割が、全く正反対になっているとしか、全く言いようがない、ということなのです。  それでは、こうした場合、国会ではなく、そうした国会議院を送り出した、地域の人々は、一体、どのような政治態度をとればいいのか、というと、それは、意外と簡単で、基本的には、首相や大臣といった内閣の政治家が、そうした選挙公約に基づいて、テキパキと、どんどん仕事を片付けているかどうか、ということを、客観的にチェックすればいいし、また、国会議員についても、そうした選挙時の公約に基づいて、それに必要な法律の施行や変更や廃止を、テキパキと要領よく行っているかどうか、ということを、一定期間ごとに、自分達が、採点者になったつもりで、客観的に評価すれば、それで十分である、ということなのです。

 このように、これは、日本を初めとするような議員内閣制の国々では、わりと間違えられやすいようなのですが、立法府である国会で、なぜか、行政府の仕事上の議論が行われたり、その反対に、行政府である役所の中で、なぜか、立法府の法律の議論が行われたりするような、ちょっと訳の分からない状況になることがあるようなので、有権者の立場としては、一定期間ごとに、選挙時の公約に基づいて、首相や大臣を中心とする政府は、ちゃんとテキパキと効率よく仕事を、どんどん片付けているか、あるいは、同じように、選挙時の公約に基づいて、国会議員は、ちゃんとテキパキと、効率よく、法律の施行や変更や廃止を、どんどん行っているか、ということを、しっかりとチェックすることが、非常に重要である、ということです。

※こうした観点から考える限り、現在の日本のような、国会における無駄な議論や、冷静な議論を妨げるヤジや、意味のないパフォーマンスは、多くの人々の政治への嫌悪感を煽り、政治への関心を引き下げて、一部の政治家が、勝手な国家運営をするための、一種のネガティブ・キャンペーンに過ぎないのではないか、というように、私は、率直に考えています。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年6月4日 6:05 PM, 政治



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