Light Symbol

ホームスクーリングについて Part 8

その家庭によっては、ホームスクーリングよりも、学校の方が、ずっと良いケースもあるし、また、テロや防衛上の問題も考えると、本当は、国家というよりも、多くの人々が、いろいろな意見を出し合ったり、協力し合いながら運営する、学校教育自体の改善や改良の方が、ずっと望ましいと言える

 ただ、ホームスクーリングに関しては、多少、問題点があって、今まで述べたことからも、ある程度、推測できるように、その家庭の親や家族が、子供の教育に全く関心がない、というような状況では、当然、全くうまく行かないでしょうから、こうしたケースの場合には、基本的に、まだ普通の学校教育の方が、よほど良い、ということになります。

 それから、これは、国の治安や防衛上の問題になるのですが、その国の周りに、ちょっと危険なテロ工作をやりそうな国があるようなケースにおいては、あまり個々の家庭の勝手とばかりに、それぞれの家に、教育を任せきってしまっていると、いつの間にか、とんでもない反国家的なテロ思想を吹き込むような、めちゃくちゃな偏向教育が行われて、その結果、その国が、常にテロや犯罪の温床のような状況になってしまうことがあるので、やはり、こうしたことは、ある程度、全体のバランスを見ながら、行ってゆくことが、非常に大切なのではないか、というように、私は感じております。

 ただ、現在の日本の状況であると、そうしたテロや犯罪の危険性よりも、それよりかは、全体の学力が低下して、さらに長期的な不況に陥る、とか、現在以上の失業率の上昇、つまり、就職率の低下に悩まされる、というような問題の方が、遥かに重要であるので、こうした状況においては、いつまでも受け身で、国家の主導による教育改革に期待するのではなく、どちらかと言うと、それぞれの家庭が、主体的に、自分の子供の将来のために、何らかの手を打つか、もしくは、国民が、もっと団結して、政府に、早急かつ具体的な教育改革を迫って、実現させるか、のいずれかの方策が、非常に重要になってくるのではないか、というように、私は考えております。

 

教育の素人が、片手間にやって、ホームスクーリングで、これだけ大きな成果が上がるのであれば、それを国民の税金で運営している学校で、大々的にやれば、子供の学力の大きな向上のみならず、親の負担の軽減(現実にきつくありませんか?)や、教師や学校の実務の大きな効率化と経費の削減ができるはずので、教育改革なんて、肩肘(かたひじ)張らずに、できるところから、気軽に少しずつ変えてゆけばいいのではないか

 多分、これまで述べたような社会変化の背景によって、うちでも、最初は、かなり疑心暗鬼で始めたホームスクーリングの方が、結果的には、子供にとって、学習的にも、精神的にも、非常に良い実績が上がるような状況になったのではないか、というのが、私の推測になります。

 それゆえ、こうした私自身の実体験から考える限り、前から私が述べているような学校教育の改良や変更(日本語で、「改革」というと、何だか、全然、出来ないような、重苦しい気分になってきませんか?)というのは、別に、それほど大変で難しいものでもなければ、また、特別、大変な親や社会の負担を強いるものでもなく、また、別に、安定した教師の職を、突然、大量に解雇させるような急進的な改革でもないので(私は、原則、よほどの特殊な状況を除いて、そうしたタイプの急進的な社会改革には、反対しています)、はっきり言って、できるところから、気軽に少しずつ変えてゆけば、それで良いのではないか、というように、私は、率直に考えております。

 

Cecye(セスィエ)

2011年5月16日 9:22 PM, 教育



«

»

おすすめ記事

過去の記事