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現代の多くの国々では、いまだ民主主義国にふさわしい真の市民教育が行われていないので、そこにつけ込んで、どこの国でも、一部の特権階級のような人々による隠れた政治支配が行われている Part 2

②現代の社会のように、小中学校卒業の段階で、テレビや新聞の政治や経済や文化のニュースを見ても、よく分からないような人々が、大多数であるとするなら、それは、民主主義国の市民教育というよりは、実質的には、単なる「愚民化政策」の実施の結果としか、全く言いようがない

 第二には、私が思うには、現在の社会のように、小学校、中学校の義務教育を受けた段階で、テレビや新聞のニュースを見ても、その意味が、よく分からないような人々が、大多数であるならば、それは、民主主義国の市民教育としては、全くお粗末、というよりも、教育の格好だけで、実質、単なる無能化教育を実施しているとしか、全く言いようがないのではないか、ということです。

 おそらく、これに関する教育行政側の言い訳は、「小中学校卒業の段階で、少なくとも、基本的な文字の読み書きと、ある程度、高度な計算ぐらいは出来るはずなので、そうしたテレビや新聞の内容ぐらい、十分、わかるはずである」、というような主張になるのでしょうが、それは、確かに、百年前の世界であれば、通用するかもしれないのですが(当時は、普通、大多数の国民は、政府の言われた通りに、何でも受け入れるしかなかったので)、現代のように、多くの人々が、より直接的な形で、政治に参加して、政治的な決定に責任を持つような民主主義の時代には、全く話にならないような言い訳になってしまうのではないか(多くの人々が、毎日のように、学校では、一度も聞いたこともないような、国内外の政治や経済や文化のニュースを目にしているような状況では、政治参加どころか、何が、正しい政治決定なのか、ということすら、よく分からなくなるのは、全く当然のことです)、ということなのです。

 それゆえ、私は、現代のような民主主義の時代においては、現在のような、社会に出ても、ほとんど使えないような、訳の分からない長期間の国語教育なんて、ほとんど廃止して、それよりかは、社会に出て、すぐに役立つような、国内外の政治や経済や文化のことや、すぐに使える実学ベースの内容について、子供にも、すぐに楽しく、よく分かるような簡単な解説や実習で、ある程度、詳しく教えてあげるのが、民主主義国の市民教育としては、当然の姿なのではないか、というように、率直に感じております。

※多くの人々は、中学卒業ぐらいまでの段階で、自分としては、結構、難しい勉強を、たくさんした、と思っていることが多いようなのですが、実際には、現代の日本の教育では、中学までの義務教育を受けた段階で、すぐに読める(もしくは、読みたいと思える)読み物は、新聞や専門誌ではなくて、多分、週刊誌(雑誌)やマンガと、それから、スポーツ新聞ぐらいなのではないか、と思われるのですが、普通、こういうレベルの内容は、「教育」とは呼ばなくて、単なる「愚民化政策」と呼ぶのではないでしょうか。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年5月8日 9:22 PM, 政治 / 教育



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