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現代の多くの国々では、いまだ民主主義国にふさわしい真の市民教育が行われていないので、そこにつけ込んで、どこの国でも、一部の特権階級のような人々による隠れた政治支配が行われている Part 1

 今回も、前回からの学校教についての話になるのですが、はっきり言って、現代の日本では、一応、政治的には、民主主義の形式になっているのですが、それにふさわしいだけの市民教育は、ほとんど出来ていないのではないか、というのが、今回の話の趣旨になります。

 

多くの人々の単純な思い込みとは、かなり違って、現代の多くの国々では、いまだに民主主義国の市民にふさわしい市民教育が、しっかり行われていないことが多いので、その結果、どこの国も、実質的には、一部の特権階級のような人々の、彼らによる、彼らのための政治が行われるような状況になっていることが多い

 これは、まだ現代では、学者もマスコミも、ほとんど指摘しないような事実であるのですが、実は、現代のほとんどの学校は、民主主義国の市民にふさわしい市民教育に、ほとんど手をつけていないのではないか、ということなのです。

 

①論理的には、どんな国であっても、その国の過半数以上の人々が、ある程度、まともな政治判断ができるくらいの市民教育が行き届いていない場合には、いつの間にか、その国の昔からの政治家や役人の子孫の人々によって、実質的に、政治の世界が、ほぼ完全支配を受けるような状況になってゆく

 その理由は、四つあるのですが、まず第一には、現代のような民主主義国における政治が、ある程度、しっかりと機能するためには、少なくとも、国民の過半数以上の人間は、社会的に見ても、そこそこ、まともな政治家なみの政治判断ができるぐらいの市民教育が行き届いていないと、論理的には、そうした市民が選んだ政治家は、たいてい、ろくでもない政治の素人のような人物ばかりになってしまうはずなので、その結果、そうした民主主義の土壌では、いつの間にか、昔からの政治家の子孫、とか、政治のエキスパートである役人の子孫のような人々によって、実質的に、政治の世界が、ほぼ完全支配を受けるような状況になってゆく、ということです。

 つまり、表向きの形式としては、ほぼ完全な民主主義国であるにも関わらず、よく調べてみると、主だった政治家や役人は、みんな昔からの政治家や役人の子孫になっている、などというように、その国の政治の実態としては、一昔前とほとんど同じような王制や貴族制の社会になってしまう、ということです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年5月8日 9:11 PM, 政治 / 教育



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