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真理は、ただ一つとは限らない Part 4

多くの人々が、宗教や思想を受け入れる際には、たいてい、それが真理か否かという点と同時に、その宗教や思想のメリットとデメリットについても、結構、真剣に吟味していることが多い

 前回述べたような考え方は、まだ地球では、あまり馴染みがないのですが、ところが、たいていの宗教や思想の、その最初の成立の段階というのをよくよく冷静に調べてみると、これは現代人にとっては、かなり意外なことであるのですが、たいていの場合、多くの人々がそうした宗教や思想を受け入れる前には、それが本当の真理であるか否かということも、当然その真剣な吟味の対象になるのですが、実際にはそれよりも、そうした宗教や思想を受け入れることによって、「一体自分は、どんな利益(将来の利益も含めて)があって、それから一体どんな不利益というか、リスク(将来の危険性)があるのか」ということも、かなり真剣な態度で、冷静に吟味した上で決めているというのが、現実の人間社会の実態であったということなのです。

 おそらく、こうした事実の指摘というのは、多くの信仰深い人々や、それから学問や思想の権威を深く信じ込んでいるような人々の強い反発を受けるのは当然であると思うので、ここでは少し例をあげて説明したいと思うのですが、私が考える限り、おそらく、たいていの人々の宗教や思想に関する本当の本音というのは、次のような感じなのではないかということなのです。

 

多くの人々は、その宗教や思想に入る最初の段階と、途中の段階と、それから、そうした宗教や思想をやめる最後の段階には、必ずその宗教や思想のメリットとデメリットについて、真剣に吟味していることが多い

 これは多分、どんな宗教や思想であっても、それが多くの人々に受け入れられる過程で、必ず経過したはずのブロセスなのではないかと私は思うのですが、たいていの場合、どの宗教や思想であっても、多くの人々が、その宗教や思想を受け入れるかどうか決める最初の段階と、それから、そうした宗教や思想を受け入れている途中の段階と、さらには、そうした宗教や思想をやめるかどうか、あるいは別の宗教や思想に乗り換えるかどうか考えている最後の段階の、大体、三つの段階を、これは、たとえ幾世代も股にかけるような長い時間をかけたとしても、必ず経ているはずであるということになるのですが、その際に多くの人々は、多分、私が推測するには、次のような四つのメリットとデメリットというのを、常に常に考え続けてきたはずであるということなのです。

 

①宗教や思想に入ることの物質面のメリットについて

 まず第一には、その宗教や思想に入っている物質面におけるメリットということになるのですが、これは具体的にあげると、偉い人や、同じ国同士や地方同士で仲良くできるとか、自分の仕事や、特殊な収入と深い関係があるとか、何か特別な最高に楽しいイベントや行事があるとか、それから何か特別な、この世的な御利益があるなどというように、結構いくらでも具体的にあげることができるのですが、ところが、たいてい、どの宗教や思想でも、こうした内容というのは、そこの人々が欲得目当てに集まっているなどと外部の人から、そう簡単に批判されないように、あまり表立てて言わないことが多いということが言えます。

 

②宗教や思想に入ることの物質面のデメリットについて

 第二には、今度は、その宗教や思想に入っている物質面でのデメリットということになるのですが、例えば、周りの人から、悪口を言われたり、変な目で見られることがある、とか、また、場合によっては、のけ者にされたり、変な嫌がらせを受けることがある、とか、それから、職業や収入の面で、いろいろ制限を受けたり、それ以外にも、結構、いろいろな面で、自分のやりたいことを我慢しなくてはならない、などというように、実際、考えてみると、結構、たくさんある、ということが言えます。

 

③宗教や思想に入ることの精神面でのメリットについて

 第三には、これはたいてい、どの宗教や思想に入っている人も、常日頃からよく考えていることなのですが、たとえ今述べたような物質面でのデメリットがあったとしても、そうした宗教や思想に入ることによって、これまでの自分の人生では得ることのできなかったような素晴らしい精神的な悦びを得たとか、何か崇高で偉大な愛の存在に巡り会うことができたとか、また崇高な理想や志のために奉仕する精神的な充実感や満足感を得たとか、それから死後、怖い地獄に落ちずに最高にハッピーな天国に入れる保証があるとか、それとほとんど同じように死後、子孫が、いつまでも自分を大切に弔ってくれる見込みがあるなどというように、ちょっと普通の日常生活をしているだけでは、絶対に得られないような精神的なメリットというのが、そうした宗教や思想には必ずあるものなのです。

 それゆえ、そうした宗教や思想に入っている人というのは、一般には「あまり欲がない」とか、「この世的な損得には、あまり興味や関心がないらしい」などと言われることが多いのですが、そうした物質面ばかりでなく、よくよく精神的な面まで見てみた場合には、これははっきり言って、大変申し訳ないのですが、たいてい、そうした人達も結構、常日頃からそうした日常生活での物質面でのメリットやデメリットと、それから、そうした宗教や思想に入ることによって得られる精神面でのメリットやデメリットを冷静に比べながら、それが自分にとって損か得か、結構、真剣に吟味していることが、実際には非常に多いのではないか、というように私は率直に感じております。

 

④宗教や思想に入ることの精神面でのデメリットについて

 それから第四には、今度は、そうした宗教や思想に入ることの精神面でのデメリットの話になるのですが、たいていの場合、そうした宗教や思想には、世間の普通の人々が、絶対知らないような怖い地獄の話や悪魔の話が出てくることが非常に多いので、そうした、おどおどしい霊的な恐怖の世界と直接対決しなくてはならなくなるとか、あるいは、何らかの社会正義の実現のために、結構普通の仕事とほとんど変わりないレベルの技能や体力や心労を伴うようなボランティアを頼まれることがあるといったことがあげられます。

 それから、そうした普通の話以外に、たいてい、そうした宗教や思想に一度深く入り込んでしまうと、そうした宗教や思想の知識や体験というのが、だんだん自分の心の中で非常に大きな位置づけ、というか、非常に大きな考えや行動のウェイトを占めるようになってくるのですが、実は、その後が問題で、たいていの場合、この段階で多くの人々は、まるで誰かのマインドコントロールにでも、はめられたかのごとく思考停止して(なぜか他のことが考えられなくなってくる)、何となくというか、何も考えることなく、そのまま何年でも何十年でも同じような生活を、ずっと続けようとするような傾向が非常に強いということなのです。

 

なぜか多くの人々は、いったん自分が入った宗教や思想に関しては、その後、よほどのことがない限り、あまりよく考えずに、そのままずっと続ける傾向がある

 これが現在、どこの社会でも、いったん多くの人々に受け入れられた宗教や思想の枠組みというのは、そう簡単には、ころころ変わらないということの大きな理由であるのですが、国家でも人生でも、そうは簡単には行かないもので、数十年、数百年経つうちには、何か大きな国家規模での動乱があるとか、あるいは個人の人生でも、仕事や家庭上の大きな挫折に遭遇するなどというような、かなり大きな歴史や人生の節目があるものなので、結局、そうした状況になると多くの人々は、それまでの自分の宗教や思想の枠組みでは全く物事の解決ができないために、その時点で、またあらためて新たな宗教や思想を、自分達自身の手で選択し直さなくてはならなくなるというような状況に、半強制的に置かれるようになることが多いということが言えるのではないか、と私は思います。

 このように、これは宗教や思想に深くはまってしまっている人達自身は、なかなか、はっきりと口にしないような内容なのですが、実は、そうした宗教や思想に入っている人達の選択や判断を冷静に見てみる限り、これは大変失礼な事実の指摘であるとは、私も重々承知の上での話なのですが、そうした宗教や思想に入る最初の段階や、続けている途中の段階や、それから、そうした宗教や思想をやめる最後の段階においては、そうした宗教や思想に入ることによる物質面や精神面でのメリットとデメリット、つまり、それが自分や家族(場合によっては、国家や民族)にとって損か得か、ということを、かなり真剣な態度で吟味していることが非常に多い、ということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2010年10月27日 9:31 PM, おすすめ記事 / 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 政治 / 知恵、正しさ



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