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真理は、ただ一つとは限らない Part 3

3、どんなに素晴らしい「真理」と称する内容であっても、多くの人々に何も選択権も決定権もない状態で一方的に受け入れさせることは、霊的には大変危険である

 第三には、これは前回も少し述べたのですが、高度に進んだ宇宙文明では、たとえ、どんなに素晴らしいと思える「真理」のような内容であったとしても、それを多くの人々に何の選択権も決定権もない状態で、100%一方的に受け入れさせるような真理の受容のスタイルというのは、まずは絶対に取られないということなのです。

 これは現在の地球の状況であると、宗教であるとか、学校であるとか、それから一部の思想団体などにおいて、現在でもよく見られるような信仰や思想や教育の受容のスタイルであるのですが、前にも述べたようにそうした形で多くの人々が、よくよく冷静な態度で自分自身の知識や経験と照らし合わせたり、あるいは自分自身の頭でよく考えたりした上で、本当の真理として受け入れるのではなく、そうではなく、はっきり言うと、一体どこの誰が、どんな目的で考えたり作ったりしたのかということすら、よく分からないような「真理」と称する内容を、多くの人々に一方的に受け入れさせられるというのは、霊的、あるいは精神的に見た場合、非常に危険な要素があるということなのです。

 この話は、ちょっと奥が深いので、ここではあまり深く触れることができないのですが、要するにたとえ、どんなにものすごく偉い聖人や偉人のような人が説いたり、発見したりした真理のような内容であったとしても、現在の地球のように子供の頃から、ほとんど何の選択権も決定権もない状態で、一方的に受け入れさせるような宗教や思想や教育のあり方というのは、本当は霊的に見ると非常に問題があるということなのです。

 

高度に進んだ宇宙文明における真理の受容のあり方について

 それでは、高度に進んだ宇宙文明においては、こうした真理というのは、一体どのような形で受け入れられているのかというと、大体、以下のような二つの内容になります。

 

①一人一人の人間に何を真理として受け入れるかということについては、しっかりした選択権と決定権を与えることが多い

 まず第一には、これは前々回も述べましたが、もし何らかの「真理」と称するような内容がある場合には、その真理というのは、前に述べたような時や場所や人や条件といった具合に、一体どのような状況の下でなら、はっきりと断言できるような真理の内容であるのかということを、偉い「先生」と称するような人物が一方的に決めつけたりせずに、一人一人の人間に、冷静に自分自身の意思で決めてもらうというような態度がとられることが非常に多いということです。

 

②多くの人々が、その真理を受け入れた場合、一体、誰が得をして、誰が損をするのかというような、その真理に関する利害関係を明らかにして、その上で多くの人々の間で、その真理を受け入れるかどうか決めることが多い

 第二には、これは現在の地球であると、まだあまり馴染みがないような考え方になるのでしょうが、そうした「真理」と称する何らかの内容があった場合には、そうした真理の正当性、つまり、正しいか間違っているかということのみならず、そうした「真理」と称する内容に関する利害関係、つまり、そうした真理というものを多くの人々が受け入れることによって、一体、誰が得をして、一体、誰が損をするのかということを、たいていの場合、結構いろいろな人達が、がやがやと、にぎやかに勝手なことを言って議論しながら、いろいろ吟味した上で、そうした「真理」と称する内容を多くの人々の間で受け入れるか、受け入れないか、ということを決めることが多いということが言えます。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2010年10月26日 9:35 PM, 人生観、世界観 / 宇宙文明、古代文明 / 政治 / 知恵、正しさ



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