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真理は、ただ一つとは限らない Part 5

自分が所属している宗教や思想団体が、たとえ、どんなに清く優れた理想的な集団のように見えたとしても、ことお金の支出入に関しては、時々、厳しくチェックし直した方が賢明である

 前回述べたような、宗教や思想に入ることの個人のメリットやデメリットの他に、これはちょっと普通、世間では、あまりはっきりと話されないような内容になるのですが、そうした宗教や思想活動を行っている団体の方のメリットとデメリットの問題、つまり、たくさんの人達の集団としての損得の問題というのがあるのですが、これは、なぜか現代の社会だと、ほとんど公の場でも、またそうした団体に入っている個人の場でも、あまり深く考える機会が非常に少ないようなので、それゆえ、そうした内容というのは、多分、現代の時代における一種の知識の空白、もしくは、一種の思考の空白のような領域になっているのではないか、というように私は率直に感じております。

 それでは、そうした宗教や思想活動を行っている団体としてのメリットとデメリットの問題、つまり、損得の問題に関して、一体どのようなことが言えるのかというと、私は大体、以下のような三つのことが言えるのではないか、というように考えています。

 

①なぜか現在の社会では、どんなに優れた人物であっても、宗教や思想団体の経理の内訳をいちいち深く詮索したり、調査したりするようなことはめったにしない

 まず第一には、これはよく考えてみれば、非常に不思議なことであるのですが、とにかく、たとえ、どんなに清く優れた理想的な宗教や思想の集団であったとしても、この物質世界で活動している限り、必ず、幾らかの活動資金が必要になるはずなのですが、これが現在の地球の社会であると、なぜか、どの人もあまり深く詮索したり、調べたりしてはいけないというような社会の暗黙の了解のようなものがあるらしく、その結果、これは非常に不思議なことであるのですが、社会的に見て、かなり有能な経営手腕があるとか、かなり博識の知識を持っているということで、それなりに有名な人物であったとしても、なぜか、そうした宗教や思想団体の運営における収入や支出の細かなお金の内訳に関しては、ほとんど自分の手で調べることもなければ、また、どこか本当に信頼のおけそうな監査会社の報告を聞くようなことすら全く考えもしない、というような非常に不思議な社会の風習が存在しているということなのです。

 つまり、どんなに優れた宗教や思想の団体であったとしても、ことお金の流れだけに注目してみる限り、幾らの収入があって、幾らの支出があって、その上での残金というか、収益や預金は幾らであるというような、その団体の収入や支出の内訳というのは、はっきり言って、そこらの普通の会社の経営と全く変わらないということになるはずなのですが、ところが、なぜか、そうした宗教や思想団体の経理の細かい内訳に関しては、ほとんど誰も深入りして詮索もしなければ、調査もしない、というような非常に不思議な社会の状況になっているということなのです。

 それゆえ、こうした状況が、ずっと続いている場合には、巷の政治や経済の世界の実情とほとんど同じように、表向きは、神や天使の仮面を被った悪魔のような人物に、そうした宗教や思想団体が、いつ専横されても全くおかしくない、というような結構危険なスィチュエーションに、いつの間にか自分自身も置かれるようになってしまうということなのです。

 

②宗教や思想団体の運営では、なぜか、お金が足りない時にはたくさん報告を受けるが、その反対にお金が余っている時には、ほとんど何の報告もないことが多い

 第二には、これはたいてい、どこの宗教や思想団体であっても、ほとんど一緒なのではないかと私は思うのですが、そうした団体において、土地や建物を購入したり、たくさん人を雇ったりすれば、ものすごくお金が必要になるのは、この世的には全く当たり前のことなので、それに関しては、私は特に大きな問題というのは全く感じないのですが、これはよくマスコミなどが、そうした宗教や思想団体を糾弾する時に必ず追求するような内容なのですが、なぜか、そうした宗教や思想団体に入っている多くの人々は、「うちの宗教や思想の教祖や幹部は、絶対に間違いのない偉い人物である」とか、「そうした教祖や幹部の個人の身辺をあれこれ詮索するのは、大変失礼な行為である」と深く信じ込んでいることが多いためか、「その宗教や思想団体が、何かをするためにお金が全然足りない」とか、「大きなイベントを行ったり、巨大な施設を作るために、とにかく莫大な資金が必要らしい」というような時には、結構多くの人々が敏感に反応して、あれこれ、いろいろな運動をしたり、たくさんの人から寄付金を集めるようなことを、それこそ、ものすごく熱心な態度で一生懸命やるのですが、その反対に、これはたいてい、そうした宗教や思想団体では、ほとんど表に出てくることがないのですが、「本当は収入が多すぎて、結構余ってしまった」とか、「本当はものすごく、たくさんの預金や運用資金がある」というような状況なのに、そうした宗教や思想団体の教祖や幹部の人達から、ほとんど何の説明もなかったとしても、なぜか一切、誰も深く詮索もしなければ、追求もしない、というような非常にアンバランスな団体運営になっているところが実際、非常に多いということなのです。

 

③宗教や思想団体も、ある程度大きくなってくると、政治の世界の賄賂や接待とほとんど同じような、一部の人達だけのための特別な豪華施設や収入や接待がはびこるようになることがある

 それから第三には、これも世間では、よくあることなのですが、日本も含めて政治の世界では、よくありがちな政治家や役人と、一部の民間の人達との癒着の構造、つまり、一部の民間の人達が、政治家や役人に賄賂を送ったり、接待したりすることによって、その見返りに裏からこっそり、たくさんの仕事をもらうというような腐敗した政治のあり方があるのですが、それとほとんど同じように、そうした宗教や思想団体の規模がある程度大きくなってくると、○○万円の金額が、教祖や幹部の人達の表向きの収入なのだが(これさえも発表していない所も多いですが)、それ以外に特別な豪華施設があるとか、特別な収入の口があるとか、特別な接待の機会があるなどというように、表向きの発表には、絶対出てこないような、政治の世界で言うと、はっきり言って、ほとんど賄賂や接待に当たるような内容であるにも関わらず、普通の法律では、絶対に罰されることのないような、いろいろな特典や収入や接待のようなものがあることが非常に多いのですが、これに関しても、元をたどれば、何のことはない、そうした宗教や思想団体に入っている人達が、あまりにも他人任せで、何の調査もチェックもしないような活動を行っていたからなのではないか、というように私は率直に感じております。

 このように、どんなに清い優れた素晴らしい宗教や思想団体の運営であったとしても、この物質世界で運営している限り、必ずお金の出入りというものがあるので、それゆえ気をつけておかないと、今述べたような形でもって、自分も、いつの間にか政治や経済の世界とほとんど同じような汚職や横領の間接的な被害者にされる可能性があるということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2010年10月28日 9:25 PM, 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 政治 / 知恵、正しさ / 社会、文化



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