ですので、一般に資本主義と言われる国々では、その後、女性や低い納税額の人々や差別的な立場の人々の選挙権をだんだん拡大してゆくことによって、社会的により大多数の、いわゆる労働者的な立場の人々が、政治的により大きな影響力や支配力を持つようになっていったり、また労働者の賃金を徐々に上げていったり、様々な方法で労働者の権利の保護や労働環境の向上を行っていったり、それから失業したり、怪我や病気など様々な事情で働けなくなった人々への生活の保障を行なって、社会全体の福祉の向上を図っていったり、さらには累進課税によって、たくさん収入がある人々への税金を相対的に高くして、少ない収入の人々への税金を相対的に低くすることなどによって、社会全体として、様々な方法で、より多くの人々の生活を向上させ続けるような政策を、少しずつですが、長い時間をかけながら着実に行い続けていったことで、今日のような、そうした百年前と比べると、多くの人々が遥かにより豊かに幸福に暮らせるような社会を築いてきたようなところがあったわけです。
ところが、マルクスが理想とする共産主義や社会主義の政治制度にしてしまった国々では、そうした資本家や経営者の社会的な役割を、ほぼすべて全面的に否定して、なくしてしまったために、その代わりを政府の官僚的な立場の人々が行うことになったのですが、そもそも政治的な計画を立てたり、調査をしたり、管理や命令を行うような立場の役人では、なかには時折、有能な人もいたとは思うのですが、先ほど述べたようなお金の使い方や増やし方や、事業の運営の仕方や、多くの人々の活かし方のような経営的な能力が高い人はあまりいない、というか、そもそも元から、あまり求められていないようなところがあったために、ほぼたいていのケースでうまくいかなくなってしまうことが多かったようなのです。
続く・・・
追伸
最近、個人的にさらにとても忙しくなってしまったために、なかなか記事を更新する時間が取れづらくなってしまいました。
あと普通、社会主義や共産主義というと、こうしたスピリチュアルなものとはかなり遠い、というか、関係ないように思われるのですが、かつての社会主義国では、こうした社会主義や共産主義が、あたかもある種の宗教のような扱いになっていたことからもよくわかるように、結構霊的にはシビアな攻撃的なエネルギーを感じるので、こうした文章は、かなり載せづらいです。
Cecye(セスィエ)
