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イエスについて Part 14

②霊界の天国は、すべての人々の気持ちや考えが、誰でも手に取るように、すぐによく分かるような世界になっているので、地上の世界の宗教のような、がっちりとした組織というのは、ほとんどなくて、すべての人々や生き物達が、お互いに、自然と助け合い、協力し合うような、まさしく、理想郷のような世界になっている

 第二には、これも、現代の地球人には、非常に驚きの目を持って、見られるような話なのではないか、と思われる内容になるのですが、死後の世界、それも、ある程度、霊的に澄んだ、「天国」と呼ばれるような世界になると、とにかく、秘密というものが、一切、なくて、どの人が考えていることも、やろうと思っていることも、すべて、ほとんど筒抜けになっている、というか、いつの間にか、何の努力もしなくても、自分の考えていることが、相手に伝わっていってしまうし、また、誰かの考えていることも、なぜか、自然自然のうちに、自分の心の中に、ストレートな形で伝わってきてしまうようになる、ということなのです。

 そうすると、こうした状況下において、「宗教」というものが、果たして、成立できるのか、というと、これが、現実的に全く無理、というか、ほぼ完全に不必要な状況になってきていて、それというのは、それより上の高次元世界で、神やアッラー(いずれも、この宇宙の創造主のことです)や、イエスや仏陀のような光の存在達が考えたり、感じたりしていることは、そうした天国にいる人であるならば、ちょっと自分の意識を向ければ、すぐに誰でも分かるような状況になっているために、地上の世界のような、わりとガッチリした形の組織運営を伴う宗教団体のようなものは、そうした天国のような世界では、ほぼ全く不必要になってしまう、ということなのです。

 つまり、そうした、高次元世界にいる、地上の世界の人々の言う、神仏のような存在が、「あの問題を、何とかしなくてはいけない」、とか、「あそこの苦しんでいる人々や生き物達を、何とか救えないかな」、などと考えていると、いつの間にか、そうした考えを察知した、別の高次元存在達や、あるいは、もう少し下の世界の天使のような存在達が、すぐにやってきて、ああだこうだと議論すると、たちまち、そうした状況に対する打開策や対応策が打たれることになってゆくので、実際問題として、そうした天国のような世界においては、地上の世界の宗教団体のような、わりとガッチリした形の組織というのは、ほとんど皆無になってしまう、ということなのです。

 ですから、当然のことながら、こうした天国の世界においては、宗教間の対立、というか、摩擦のようなものも、ほとんど皆無であるので、地上の世界の感覚で言うと、たとえ、イスラム教の世界の問題であるとしても、キリスト教圏や仏教圏の人々が、何らかの支援や協力を行うのは、全く当然のことであると考えられているし、また、その反対に、仏教圏で、何か問題が発生した場合にも、キリスト教圏やイスラム教圏や、あるいは、そうした宗教以外の人々が、さまざまな支援や協力を行うのは、至極、当然のことであるように考えられているのが、そうした高次元世界、というか、天国と呼ばれる領域になっている、ということなのです。

※一昔前までは、地上の宗教の広がりを反映した形の、天国の世界になっていたので、それぞれの人々が、生前、信じていた宗教ごとに、霊界の中に、それぞれの天国が広がっているような状況になっていたのですが、ただ、最近では、アセンションの進行とも関係があるのでしょうが、この宇宙の創造主を信仰するような形で、地球のみならず、外宇宙の文明に対しても、かなりオープンな形の、わりと一つに統合された、天国の世界に変化してきているように感じます。

 このように、死後、霊界の、特に天国のような世界に来た人々は、その後、いろいろなことを、かなりの驚きを持って、体験することになってゆくのですが、その際に、これは、霊界では、非常に有名なことであるのですが、生前、キリスト教の信者だった人々は、自分が、生前、学んだキリスト教の教えと、実際の霊界での体験が、あまりにも大きく食い違っていることに、かなりの驚きを覚えることが、非常に多いようなのです。

 

たとえ、宗教であっても、単純に、何でもかんでも盲信、過信に走るのではなく、信じることと同じくらい、本当の真実かどうか、よくよく調べてみたり、確かめてみたりすることも、非常に重要なのではないだろうか

 その点、地球上の他の宗教も、確かに、ある程度、似たり寄ったりのところはあるのは事実なのですが、ただ、キリスト教の場合には、そうした、よく考えてみると、霊的にも、科学的にも、本当に確かなことであるかどうか、あまりよく調べたわけでもないような聖書の内容や教会の主張というものを、あまりにも一方的に、「とにかく、信じるのです」、とか、「絶対に疑ってはいけません」、などと、すぐに盲信、過信を強いてゆくようなところがあったので、そうした点が、霊界に行った、多くの人々の立場から見ると、死後、結構、大変な苦労や混乱を強いられることになったので、非常に問題だったのではないか、ということなのです。

 そして、その根本的な理由というものを考えてゆくと、「どんな悪いことをした人だって、とにかく、信じていれば、救われるんだ」、とか、「イエス・キリストを強く信じれば、絶対に救われるんだ」、というような、例の「パウロイズム」に起因してゆくようなところがあるので、私は、こうしたケースの場合には、もう少し冷静になって、信じることも大切だけれど、その反対に、本当に、真実かどうか、よくよく調べてみたり、確かめてみた上で、その上で、自分が、本当に真実だと認めたことを、一つ一つ、丁寧に受け入れてゆくことも、同じくらい大切なのではないか、というように、率直に感じる次第です。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年1月10日 9:11 PM, キリスト教 / スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観



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