つまり今述べているような中高年の人々の知識や経験や実績は、これまで数十年の間の社会や科学技術の状況で培われてきたものなので、ひょっとしたら現在、あるいは、少し先の未来では、現在も進んでいる科学技術の進歩や社会の変化などによって、これまでの常識では、絶対に無理であると思われていたことであっても、いろいろな努力をすれば、何らかの形でできるようになっているかもしれないということなのです。
また、これは別の視点からの見方になるのですが、そうした中高年の人々の知識や経験や実績などから見ると、これまでずっと当たり前のように感じていたことであっても、場合によっては、先ほどから述べているような科学技術の進歩や政治や社会の変化によって、いつの間にか、そうした若い人々の立場からすると、「え、そんなこと、やっていいんですか?」「もう、それって完全に時代遅れのやり方じゃないですか?」「最近の人は、みんなこんな感じで、もうそんなこと、誰もほとんど気にしないんですよ」「そんな面倒なことしなくても、今はこのアプリや機械で、あっという間にできますよ」「それは今の時代では、法律的にも世間の常識的にも、もう完全にアウトですね」などというような感じで、いつの間にか、そうした若い人々に代表されるような大多数の人々の感覚からすると、完全に時代遅れや間違いのように思われていたり、また場合によっては、完全にどうしようもない大失敗のように思われてしまうこともあるようなので、こうした感覚のギャップには、かなり気を付けることが大事なのではないか、というように思われます。
Cecye(セスィエ)
2023年5月10日 9:03 PM, おすすめ記事 / 予知、予言、未来予測 / 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 成功論、繁栄論 / 政治 / 教育 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 科学、テクノロジー / 経済