それでは、こうした観点から現在の世界を見た場合、いったい、どのようなことが言えるのか、というと、これは、ちょっと意外に感じる人が多いかもしれない内容になるのですが、難しいことははしょって、なるべく簡単にまとめて述べると、だいたい次のようなことが言えます。
まず基本的には、どんな人であっても、何かの素晴らしい夢や理想や、大成功した誰かの人生や、あるいは、とんでもなく大変な話は、とりあえず置いておいて、毎日やらなくてはならない仕事や、毎日学ばなければならない学業や、毎日送っている普通の生活があるものなので、その上でテレビやネットや本や、人づての話などで、「わあ、こんな便利な素敵な物があるのか」「こんな良い知恵があったのか」「わあ、こんなすごい仕事をしている人がいるのか」「わあ、こんな素晴らしい幸せな生活をしている人がいるのか」、あるいは逆に「こんなとんでもない大変な話もあるのか・・・」などというように、普段の自分や周りの人々の人生では、あまり見聞きすることもないような様々な人々の人生や、様々な製品やサービスや、様々な仕事や知恵や芸術や、様々な国々や地方の様子などを見聞きすることになるわけです。
そうすると、たいていの人は、それまでのその人自身の人生であれば、まずは全く想像することすらなかったような、そうした様々な世界の様子を見聞きするうちに、「ああ、なんて素晴らしいんだろう。自分もああいう物が手に入れられないものかな」「あの凄いことを自分もやってみたい!」「ああいう便利な素晴らしい生活が、自分や自分の身の回りの人々もできないものだろうか?」、あるいは、「何とか少しでも自分達の生活を変えられないものだろうか?」「あの気の毒な人々のために、何とか少しでも力になってあげられないものだろうか」などというように、様々な夢や欲望や願望のような気持ちをかき立てられるようになってゆくわけです。
Cecye(セスィエ)