「第二次世界大戦当時のソ連とスターリンについて」の文章の続きになります。
※ロシアにおける「第二次世界大戦」についての歴史認識について
現在のロシアでは、当時の戦争を「大祖国戦争」と呼んでいて、当時のソ連は、突如、当時のナチス・ドイツから、ものすごい軍事侵攻を受けて、大変な被害を出しながらも、当時のソ連の偉大な政治指導者達の下で国民が一致団結して、勝利した偉大な戦争であった、というような認識をされていることが多いようです。
ここまで述べてきたような歴史的な経緯があるので、確かに1941年から1945年までの間の当時のソ連とナチス・ドイツの戦争に関しては、そうしたことが言えるようなところはあるかもしれません。
しかし、それ以前の1939年から1941年の間の当時のソ連の戦争に関しては、当時のナチス・ドイツと秘密裏の準同盟関係を築いて、当時のナチス・ドイツと一緒に当時のヨーロッパに軍事侵攻した結果、世界規模の大きな戦争の惨禍を巻き起こすことになったことや、また、さらにその後、当時のナチス・ドイツと仲違いして、逆に当時のソ連が軍事侵攻を受けて、大きな被害を出したことなどを考え合わせると、そうした当時のソ連の指導者達の政治判断や、軍事力の行使などに関しては、どちらかと言うと、公式な国の立場としては、より公正で正確な歴史の認識を持つことや、また、そうしたことについての十分な反省や謝罪的な立場をとることの方が、とても大事なのではないか、というように思われます。
そうしないと、現在のロシアのように政府の見解や、教育や報道の姿勢や、全体的な国民性などにおいて、「第二次世界大戦では、自分達は、絶対に正しい良い戦争をしたのだ」「ナチス・ドイツは、とんでもなく悪い奴らで、自分達は、そうしたとんでもなく悪いナチス・ドイツをやっつけた良い国だったのだ」「自分達の政治指導者は、とても偉大なので、何も意見を言わずにしっかりついてゆけばよいのだ」などというような立場になりやすいからです。
ところが本当の歴史的な状況としては、「当時のソ連が、ナチス・ドイツと秘密裏に手を結んで、一緒にヨーロッパの侵略を始めたために、結果として、その後、『第二次世界大戦』という世界規模の大きな戦争の惨禍が起きた」「当時のナチス・ドイツのヨーロッパへの侵略を成功させたのは、当時のソ連が当時のナチス・ドイツとしっかり手を組んで、一緒にヨーロッパの侵略を行なっていたからだった」「当時のスターリンが、元々、犬猿の仲だったナチス・ドイツと手を結んで、ナチス・ドイツと一緒にヨーロッパの侵略を成功させなければ、その後のナチス・ドイツによるソ連への侵略も、ソ連のとても大変な戦争の被害もなかった」「当時のソ連が、ナチス・ドイツとの戦争に勝てたのは、当時のスターリンや、ソ連の人々の努力だけではなく、当時、国際的に協力関係にあった、当時のアメリカやイギリスなどの連合国側からの非常に莫大な軍事支援があったからだった」「当時のスターリンの政治は、敵にも容赦なかったが、それと同じように当時のソ連の国民にも、かなり過酷で容赦のないものだった」などというようなものだったのではないか、ということなのです。
このようにロシアなど旧ソ連圏の国々の公式な国の立場としては、第二次世界大戦のそもそもの始まりや経緯などについて、より公正で正確な歴史の評価を行うと共に、また、それについての十分な反省や謝罪的な立場をとるようにしておかないと、ともすれば、そうした国々では、政治指導者への過度の信頼や盲従が起きやすくなったり、また非常に安易かつ、国民も外国の人々も、なかなか誰も止められないような強力な軍事力の行使が行われやすい政治状況になって、結果的に、かつてのような世界規模の大戦争の惨禍や、さらにはそうした戦火の拡大による旧ソ連圏の国々の中での大きな被害が繰り返されてゆく可能性もあるので、こうした点には、非常に注意が必要なのではないか、というように思われます。
Cecye(セスィエ)