②その後の仏教の歴史では、次々と様々なバリエーションの仏教の教えがつくられていった
ところがその後、数百年、さらには千年以上もの長い歳月が流れてゆく間に、「これもお釈迦様が説かれた尊い教え」とか、「これは、ただの途中経過の初心者用の方便の教え」とか、「これこそが、お釈迦様の本当の真意が説かれている偉大なお経」などというように、古代や中世のインドやアジアのあちこちで(もっと正確には、近代、現代に至るまででしょうか・・・)、次々と「釈尊が説かれた尊い最高の教え」が、たくさん出回るようになっていったようなのです。
それゆえ、そうした仏教経典を熱心に勉強したり、布教しようとすると、「この教えと、この教えは矛盾しているが、いったい、どちらが正しいのだろうか?」とか、「これはお釈迦様じきじきの教えらしいのだが、こちらの豪華絢爛な教えと比べると、なんか、あまりパッとしない普通の教えだな」とか、「この教えの方が、簡単に修行できそうでよいのだが、みんな、あまりありがたがって聴いてくれないので、ちょっと難しそうで凄そうな、こちらの教えで、とりあえず布教した方がよいようだ」とか、「インドの元々の仏教の教えは素晴らしいのだけれど、我が国の風土は全く違っていて、それをそのまま伝えることは、ほぼ不可能なようなのだが、深く瞑想して、仏の心に尋ねてみても、それほど問題なさそうなので、とりあえず、別の教えを前面に出して、伝えることにしようか」などというように、元々は「釈迦」という一人の人物が説いた仏教の教えであったはずなのに、時代が下るにつれて、また世界の様々な国々に広がるにつれて、だんだん様々なバリエーションの新しい仏教の教えが現れ続けるようになっていってしまったようなのです。
Cecye(セスィエ)
2021年10月6日 9:03 PM, インド思想、ヒンドゥー教 / スピリチュアリズム、霊界 / 中国思想 / 仏教 / 宇宙文明、古代文明 / 宗教、道徳 / 歴史 / 瞑想 / 知恵、正しさ / 社会、文化