おそらく釈迦が亡くなった後、さまざまな形で現れてきた大乗仏教などの新仏教の流れは、そうした社会的な背景の中で、多くの人々の強いニーズのもとに次々と成立してきたのではないか、と思われます。
要はそうした社会情勢の中で、釈迦が亡くなった後の仏教の教えを信奉する人々が、仏教の教えを元に、わりと簡単な精神的な努力だけで、そうした彼らの理想からは全くほど遠い、自分自身や他の人々や、世界のあり方の問題を、一瞬のうちにバッサリと、まるで何もなかったかのように解決するために編み出した方法が、そうした存在否定論としての「空」の教えだったのではないか、ということなのです。
※おそらく最初の段階では、かなりおっかなびっくり、というか、一つ一つ、かなり疑心暗鬼な感じで主張していた「空」の拡大解釈型の教えは(普通、目の前にあるものを、何でも「ない、ない」と言っていたら、おかしな人間のように言われたはずなので・・・)、その後、当時のインドやインド周辺の地域の様々な仏教の宗派の間で、たくさんの論争を繰り広げているうちに、だんだん、「あれもない、これもない」という具合に、簡単に言ってしまうと最終的には、「すべての物質は存在していないのだ」などというように最も極端な形で、あらゆる物事の存在否定をしまくった主張が、その後のインドや、中国や日本などに広がった大乗仏教では、主流派になっていったようです。
※ところが、おそらく当時の東南アジアでは、古代のインドほど哲学的な議論が盛んでなかったことと、それから当時のインドと比べると、相対的にわりと平和で、もう少しのんびりした社会であっただけでなく、もうすでに最初に伝わった釈迦の教えに、かなりきっちりとした権威ができあがっていたために、どちらかと言うと元々の釈迦の教えが、上座部仏教として、そのままの形で残るようになっていったのではないか、と思われます。また、基本的に南国の田舎風の幸せな生活をしている人々が多かったので、それほど現実否定する必要はなかったことや、それから、かなり暑い気候なので、哲学的な議論をして、深く考えることは、かなり面倒に感じられたことなどの理由で、結果として、元々の釈迦の教えの方が、その地域の人々のニーズにより合致していたのかもしれません。。
Cecye(セスィエ)
2021年6月22日 9:03 PM, インド思想、ヒンドゥー教 / スピリチュアリズム、霊界 / 中国思想 / 人生観、世界観 / 仏教 / 宇宙文明、古代文明 / 宗教、道徳 / 歴史 / 知恵、正しさ / 社会、文化