①仏教の中の非常に難しい教えの大部分は、当時の宗教インテリや、プロの修行者のような人々に向けた内容が多かったのではないだろうか
まず一つめは、これは後の時代の人々には、なかなか、よくわからなくなってしまったような内容になると思うのですが、先ほども少し述べたように古代インドにおいて、釈迦が教えを説き始めると、宗教的な知識が非常に豊富な人々や、非常に熱心に霊的な修行に励んできた人々ばかりでなく、はっきり言うと、確かに悟りへの熱意はあるのですが、それほど頭がよいわけでも、修行熱心でもないような、かなり無学文盲に近いような人々も、かなりたくさんやってきていたようなので、当時の釈迦としては、そうした多くの人々のために、わりと簡単かつシンプルな教えも、日常的に結構たくさん説いていたようなのです。
ところが、そこに宗教的な知識の非常に豊富な人々や、非常に修行熱心な人々がやってくると、当時の釈迦としては、そうした人々にも、ある程度しっかり付き合って、かなり難しい哲学的な説明をして、きっちり納得させて、釈迦の教えに帰依させるように導いたり、また時には、霊的な奇跡を見せたり、ちょっと荒っぽい霊的な術比べまでして、釈迦の教えに帰依させていたこともあったようです。
ですので、はっきり言ってしまうと、後世、多くの人々が、「非常に難しい」とか、「とても大変だ」などと言っているような仏教の教えの大部分は、古代インドにおいて、釈迦が、当時の宗教的なインテリや、かなり過酷な肉体的な修行に明け暮れているような人々に対して、多少理屈をこねくり回したり、霊的な力比べをして説いた内容が、元になっているのではないか、ということなのです。
それゆえ、本当は、元々の仏教の教え自体は、そんなに難しいものではなくて、ある程度の知性ややる気さえあれば、そこそこの悟りは得られるくらいの、わりと万人向けの易しい教えが多かったのではないか、ということです。
Cecye(セスィエ)
2021年6月1日 9:03 PM, インド思想、ヒンドゥー教 / 仏教 / 宗教、道徳 / 歴史 / 瞑想 / 知恵、正しさ