5、時折、世間では、ものすごいパフォーマンスをしている際の神懸かり的な状態を「悟り」と呼ぶことがあった
五つめは、これは少し変わったタイプの悟りの説明になるのですが、なるべく簡単に要約して説明すると、普通の人々とはかなり違った、まるで何かの霊でも乗り移ったかのような非常に特異な精神状態になることや、また、そうした最中に、かなり人間離れしたレベルの非常に高度な能力を発揮しているような状態を、時々世間では、一種の「悟り」と認識していることがあったようです。
それは、いったい、どのようなものなのかというと、たいてい、そうした人は、普通の人々から見ると、かなり素晴らしい才能や能力を発揮していることが多いのですが、ところが単にそれだけではなく、実際にそうした人の様子を見ていると、「この人は、普通の人とは全然違う霊的な雰囲気がしている」とか、「あれ、なんでこの人って、こんな簡単に他の人が考えていることをパッと見抜いてしまったり、パッとまるで神様のような適切なアドバイスのようなことを言ってくれるんだろう?」とか、「ああ、あの人は一見、普通の人みたいなんだけど、何かパフォーマンスや創作活動のようなことを始めると途端に、まるで人が変わったみたいに、ものすごいことをし出すんだよな」などというように、普通の人々には、そう簡単になかなか閃いたり、できたりしないような、ものすごい才能や能力を発揮しているような人や、あるいは、そうしたものすごい才能や能力を発揮している過程において、普通の人々には、少し理解しづらいような感じの非常に特殊な霊的な雰囲気を醸し出しているような人のことを、時々世間では、「ああ、あの人は、ちょっと霊的な人だから」とか、「ああ、あの人には何か懸かってるみたいだね」とか、「何か降りてきてるみたいだね」とか、「ああ、あの人は、ちょっと悟った人だから」などと言っていることが多かったのではないか、というように思われます。
それゆえ、こうしたタイプの悟りの意味は、普通の人々の発想や能力をかなり大きく超えるような、非常にものすごいアイデアや創造力を発揮したり、非常に超人的なパフォーマンスを発揮したりするような過程で、かなり神懸かった霊的な雰囲気を醸し出しているような状態を、多くの人々は、「ああ、あの人は、ちょっとすごい人だから」とか、「あの人は時々、神懸かることがあるから」とか、「ああ、あの人は悟っている人みたいだ」などというような感じで、ある種の「悟り」として認識してきたのではないか、と思われます。
Cecye(セスィエ)
2021年3月17日 9:03 PM, インド思想、ヒンドゥー教 / スピリチュアリズム、霊界 / 仏教 / 宗教、道徳 / 知恵、正しさ / 神道 / 芸術、美