次には、人間が、様々な物事を「知る」ことや「わかる」ことと、「楽しみ」の関係について、考えてみたいと思います。
普通、人間が「わかる」という感覚を得るためには、少し時間をとって、自分が知りたいことについて、注意深く見聞きしたり、文字を読んで理解したり、また少し冷静になって、頭を使って考えたりしなくてはならないものです。
ところが、たいてい、学ぶことや考えることが、心から大好きな人でもない限りは、何か楽しいことをしたり、遊んだりしたいという気持ちを一時的にかなり強く抑えて、そうした行為に取り組んでいることが多いものなのです。
そうすると、ここで少し難しい問題が出てくるのですが、世の中を見ると、とても物知りで頭が良いにも関わらず、あまり楽しく幸せそうに過ごしていないような人々がいることもあれば、逆にそれほど物事をよく知っているわけでも、頭が良いわけでもないにも関わらず、非常に楽しく幸せそうに生活しているような人々がいることもあるので、そうすると、おそらく、多くの人々は、あまりはっきりとは言わないのですが、自分の人生において、いったいどこで楽しい幸せな時間を過ごし、また、いったいどこで、そうした気持ちは多少抑えて、物事をより深く正しく知ったり、考えたりする時間を持つか、ということをかなり真剣に迷ったり、うまく調整しながら生活してるのではないか、と思われます。
Cecye(セスィエ)