2、民主化や近代化の際に、よく起きがちな政治や経済や社会の問題と、その解決策について
二つめは、今度は、別の視点になるのですが、こうした社会の発展期において、非常に複雑で、ややこしい問題になりがちなのが、そうした時期に、かなり大きな形で発生してくる富裕層と貧しい人々の間の「貧富の差」の問題なのではないか、と思います。
こうした社会の問題は、誰もが、簡単に目につきやすい問題であるだけでなく、一見、まるで政治家や役人の無能さや、一部の金持ちの人々の強欲さが原因で、そうした問題が発生しているように見えるようなところもあるので、結構長い期間に渡って、そうした貧富の差の問題を巡って、いろいろな問題が発生してくることが多いのですが、これに関しては、次のような二つのことが言えます。
1、まだ社会全体が貧しい間は、とかく、いろいろな問題が起きがちであるが、長期的な観点から見た政治家選びとしては、やると言ったことは必ずやり、やらないといったことは、よほどのことがない限り、絶対にしないような、着実に一つ一つの実績を上げ続けられるような政治指導者を選んだ方が賢明である
まず一つめは、これは、先ほども少し述べましたが、こうした社会の発展期には、その社会全体が、ある程度、豊かになってくるまで、はっきり言って、政府にも十分な救済能力がないし、また、そこそこ豊かな富裕層のような人々にも、まだそうした豊かさを、いろいろな形で社会に還元できるほどの十分な経済力まではないというような状況になりがちなのです。
そうすると、こうした社会状況では、多くの人々は、一応、学校に行けたとしても、その後、いろいろな職業を転々とするような多少不安定な生活状況になったり、また様々な企業の発展や衰退や、いろいろな物事の流行りすたりの中で、ある程度うまく行ったかと思うと、今度は、とても大変な状況になるなどというように、それこそ死ぬほどではないにしても、結構厳しいサバイバル競争の中で、たくましく生き抜いてゆかなくてはならない状況になることが多いのです。
そうすると、こうした社会の状況の中で、いったいどのような生き方、あるいは、社会全体のあり方がよいのかというと、残念ながら、これがちょっと厳しくて、少なくとも、ちょっとした間違いや不祥事のようなことで命や財産を奪われたり、国外に追放されたり、とんでもない拷問まがいのことをされるような社会の状況であるなら、それこそ多くの人々が一致団結して、そうした社会のあり方を、大きく正してゆくような大改革が必要になるとは思うのですが、そうではなく、それほど血も涙もないような、とんでもない政治が行われているわけではなく、また政府の方針が、しょっちゅう、ころころ変わって、社会全体が大混乱に陥るような状況になっているわけでもないのであれば、そこはある程度、精神的に達観した態度をとって、「その時点での多くの人々の生き方や社会のあり方としては、確かに最高のものとは言えないかもしれないけれども、だからと言って、それほど泣きわめくほど最低の状況でもない」というように、しっかりと腹をくくって、少しでも最善に最善を積み重ねてゆくような、その時々の自分の生き方や社会のあり方を模索し続けてゆくしかないということです。
ただし、この際に、どうしても注意すべき内容があって、それは、その時々の政治指導者が、いろいろと素晴らしい理想やスローガンを掲げていたいたとしても、実際にやっていることが口先だけで、ほとんど何の実行も伴っていないとか、何かやったと思ったら、大した理由もないのに、すぐにやめてしまったり、別のことを始めるなどというように、はっきり言って、口で言っていることと、実際にやっていることが、あまりにも違う政治家が、その国の政治を牛耳っているように判断された場合には、できるだけ速やかに、やると言ったことは、本当にしっかりやり、また、やらないと言ったことは、よほどの状況の変化がない限り、やらない、などというように発言と行動が、できるだけ一致しているような政治家を、その国の政治家に据えておかないと、はっきり言って、何年、何十年経とうが、その国が、政治的、経済的に発展して、豊かな社会になることは絶対にない、というように単純に理解しておいた方がよいと思います(参考1、参考2、参考3)。
※前にも述べたように、政治指導者が、途中で、以前に掲げていた政策とは大きく異なる政策に変更しても構わないのですが(正当な理由があるのであれば・・・)、その場合には、そうした政策の変更に至った理由を、国民にしっかり説明することが重要になります。
Cecye(セスィエ)