それでは、そうした国々の一部は、なぜ現在、先進国になっているのかというと、先ほど述べたような理由、つまり、すぐにはうまく行かなくても、腰を据えて、道徳や教育面の質を高めると共に、多くの人々が、様々な分野で地道に働いて、他の人々から必要とされるような商品やサービスを産み出し、そして、そうした富を、社会のあちこちに地道に蓄積してきたことによって、現在のような豊かな生活を送るようになってきたのです。
※ここで言っている「富」とは、一昔前の「富」の概念、つまり、金や銀に代表されるような単純な物質的な富ではなく、多くの人々が、他の人々のために何らかの商品やサービスを提供した際に、対価として受け取る「お金」のような金銭的な富の他、多くの人々が持っている家や土地や装飾品や美術品などの様々な財産や、また、国中に整備された道路や上下水道や、空港や港湾といったインフラや、様々な物を生産する農場や工場や鉱山や、それらを運ぶ流通網や、それから本や映画や絵や音楽といった優れた創作物や、多くの人々が憩い、集まるきれいな建物や公園や豊かな自然環境や、さらには、それぞれの人が持っている様々な知恵や技術や人間性なども含めた、もっと総合的な意味での「富」のことを言っています。あと、その国の政治家や役人の信用や仕事能力や人間性のような政治的な力も、富と考えてよいと思います。
※単純に言って、いつまでも闘争や貧困にあえいでいるような国や地域というのは、誰かが、何か新しい有益なことをやっても、しっかりと評価しなかったり、また、そうしたものを大切にせずに乱暴に扱い、すぐに壊したり、めちゃくちゃにしてしまうようなところがあります。ですから、自分の住んでいる国や地域を、ある程度、豊かな国にしたいと思うのであれば、誰かが、何か新しい有益なことをしたら、その程度に応じて、できるだけ多くの人々で、しっかり評価することと、また、そうして産み出された物やサービスは、きれいに大切に扱い、一つ一つ、しっかり残して積み上げてゆくことが、とても大切になります(不必要な物、使わないものは、きれいに片付けて、なくしてゆくことも大切ですが・・・)。
追伸
ちょっと文章の整理が間に合わなくなりそうなので、多分、明日は休みです。
Cecye(セスィエ)