そうすると、ここで不思議なことが起きるのですが、政府の表向きのアナウンスとしては、多くの人々に普通の生産活動をしてもらって、国の経済基盤をうまく支えていてもらわないと、そうしたお金の価値の維持がしっかり行えないために、大多数の国民には、勤勉に働き、お金を貯蓄したり、運用したりしてもらうような、かなりきっちりした経済活動を勧めることになるのですが、ところが、その一方で、それほど緊急の必要はないし、また多少、無駄なものが含まれていることもわかっているけれども、政府の表向きの予算としては、すでにきっちり計上されているし、また常にかなり大きな金額のお金を使い続けていないと、国全体の経済がうまく回らなくなってしまう可能性があるために、はっきり言うと、その国の経済の発展の影に隠れるような形で、そうした政府の内部事情をよく知っている一部の政治家や役人や財界人や、王族や貴族といった人々の間で、普通の人々であれば、まずは一生、絶対に目にすることもないような、ものすごい金額のお金を、内々の賄賂や接待や、特別の収入のような形で、あちこちにばらまくような現象がよく起きることがあるのです。
ところが、少し前の封建主義の時代と違って、民主主義の政府では、公式には、そうしたことは断固して、不正な汚職や犯罪であると罰することになっているので、民主的な政府であればあるほど、時々、そうした政府内の不正や汚職が明るみに出て、世間が大騒ぎになることがあるのですが、ただ残念なことに、たいてい、どんなに立派な政治家や役人が出てきて、どんなに有効そうな対策を立てたとしても、数十年ぐらいに渡って、そうした状況が、なかなか止められないような状況になりがちだったようなのです(参考1、参考2、参考3)。
Cecye(セスィエ)