つまり、国家の近代化の初期の段階では、何となく、見た目や気分としては、一見、軍人や警察は、いつも服装はきっちりしているし、動作もキビキビしているし、また、武器を持っている上に組織もしっかりしているので、何となく、すごくきっちりしているような印象を受けることが多いのですが、それに比べて社会全体の状況は、そうした近代化が始まって、まだ数十年ぐらいの段階では、農村は、ほとんど変わらないし、都市もパッとしないし、その上、国民の大半は、ろくな教育や仕事もなく、みんな貧乏そうに見えるところに、さらにそれに輪をかけるように時々、政治家や役人やお金持ちの不正が明るみに出るような状態が、何年、何十年と続いてゆくことが多いわけです。
※それ以前の時代には、報道の自由がなかっただけで、本当は、そうした事実が自由に報道されるようになっていることは、政治や社会が、より良く進歩していることになります。あと、めちゃくちゃな権力の濫用がなければ、そうした状況は、警察や検察や裁判所などの司法制度が、きっちり機能していることなので、そうした点でも、以前の社会よりも良くなっていることになります。
そうした社会の状況では、軍人の側としては、何となく自分達がやれば、規律正しい軍隊のように、パッと国全体をすごく良くできるような感覚を持ちがちであるし、また大多数の貧しい人々の側から見ても、まるで政治家や役人やお金持ちの人々がみんな、ものすごい欲張りで能無しだらけの、とんでもない不正や贅沢し放題の人々のように見えないこともないので(実際には、一部の人々だけの話で、真面目にしっかりした仕事をしている人々が多いと思うのですが・・・)、人類の歴史では、こうした近代化の初期の段階では、よく軍事クーデターが起きやすいようなところがあるのです。
たいていの国では、そうした軍事クーデターの結果、確かに国内の政治や治安が安定するような良い効果もあるにはあるのですが、ところが、政治的には、そうした軍事政権が、独裁制に近い政治体制になった後、結局、軍人のリーダー達も、同じように政治的に腐敗した状況になっていったり(軍隊の仕事だけでなく、行政の仕事に関わるようになるので、結果として、同じような問題に巻き込まれやすくなります)、多くの人々の人権が踏みにじられるような状況になってゆきやすいことと、それから経済的には、地道な経済成長のための政策をとっていない場合には、結局、その後も、かなり貧しい状態が、ずっと長く続いてゆくような状況になりがちであった、ということです(参考1、参考2、参考3)。
Cecye(セスィエ)