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現在のアセンションの進行に伴う霊的な注意点について Part 6

 二つめは、これも少し科学的な精神が必要になるかもしれないのですが、実は現代の地球では、昔の人々は、単に家や地域の波動を清めるような目的で使っていたものを、いつの間にか、何かものすごい神仏そのものであるかのように信じて、後生大事に祭り上げてしまっているようなことが、結構あちこちで見受けられるようなところがあるのです。

 具体的に言うと例えば、神道であれば、丸い鏡や玉のようなものであるとか、高い建物(昔は見張り台のような用途もあったのでしょうが・・・)や立派な建物や、形の整ったきれいな山や大きな岩であるとか、長い棒や刀のようなものであるとか、それから、らせん状に巻かれた縄のようなものであったりするのですが、要するにそうした物の元々の起源をたどってゆくと、確かに霊的には神仏の世界とつながるようなところはあるけれども、神仏そのものというよりは、どちらかと言うと人間や生物や家や地域の場を清めて、波動を高めるような役割の、要するに現代のスピリチュアルな人々が考えているところの波動グッズのようなものであったことも多いということなのです。

 ですから、もし昔から、まるで神仏そのものであるかのように大切にされてきたけれども、何となく最近は、それほど大切に感じられなくなってきたとか、神仏のように拝むことが気が引けるようになってきたということであるなら、再度、現代のスピリチュアルな世界の知識などを参照して、霊的に感じるべき本当の神仏は本当の神仏、それから単なる波動グッズは波動グッズというように、要するに本当の神仏と、そうした神仏を祭るための補助的な物は、きっちり分けた形のより正しい信仰生活に変えていった方がよいのではないか、というように私は考えております(参考1)。

※私は、どんなに素晴らしい霊的な本尊のようなものがあったとしても、基本的にそうした物を神仏の象徴のように考えて敬うことは全然構わないけれども、そうした物をまるで神仏そのもののように考えて、拝むことに関しては、霊的には完全に間違っているのではないかと考えています。たいてい、どんなに素晴らしい神社仏閣や教会のような所に行ったとしても、確かにそうした所では霊的な波動が清められていて、祈りや瞑想がしやすいことも多いのですが、基本的には、そうした所であっても、どんな人であっても祈りや瞑想の際には、霊的には一人一人の人が直接神仏とつながるような状態になっていることが多いのです(つまり霊的には、たとえ本尊のようなものがあったとしても、一人一人が直接神仏とつながるような状態になっています)。ですから、そうした意味では、そうした神仏の像や象徴自体を崇めるのではなく、そうした神仏の像や象徴の前や近くの霊的に非常に清められた場所で、祈りや瞑想のようなスピリチュアルな行為を行うことによって、それぞれの人が直接神仏とつながってゆくのが、本当の宗教の立場なのではないかと思われます。

※もし丸い鏡のようなものを神仏の象徴に使う場合には、できれば鏡よりも、完全に反射しない金属の丸い板状の物の方が望ましく、それから単なる丸い板ではなく、神仏の象徴であることがはっきりわかるように神仏の名前や象徴が描かれたものが一緒になっていて、さらにその周辺にあるものがトータルで神仏の光をなるべくストレートに降ろせるような霊的な状態になっている必要があります(参考2)。

 

 続く・・・

 

 追伸

 再び、表紙の絵を、昨年の桜の絵に変えました。

 

Cecye(セスィエ)

2016年3月22日 9:04 PM, イスラム教 / キリスト教 / スピリチュアリズム、霊界 / 中国思想 / 仏教 / 宇宙文明、古代文明 / 宗教、道徳 / 現在のアセンションの状況 / 社会、文化 / 神道



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