四つめは、これも少し難しい概念になるのですが、この宇宙では多くの魂達が、様々な環境で様々な体験を積み重ねてゆく中で、だんだん、それぞれの魂固有の際立った個性を持つようになってゆくようなところがあったので、そうした観点から見ると、それぞれの魂としては、何らかの集合霊の中の単に一つの魂に過ぎないような魂は、霊的にはそれほど進歩していなくて、その反対にそうした何らかの集合霊の中に属していたとしても、ある程度、際立った個性を持っていて、何らかの形でリーダー的な働きをしているような魂の方が、霊的にはより進歩した存在になっているというように言えるようなところがあるのですが、ところが、ここで非常にややこしいのは、これまでの光と闇の時代には、偽創造主や偽神仏の働きによって、この宇宙では、様々な形でそうした集合霊や個々の魂の間で、非常に不調和な衝突や奪い合いのようなことが、非常に頻繁に発生し続けてきたということなのです。
そうすると霊的には、いったいどのようなことが言えるのかというと、これは非常に難しい概念になるのですが、要するにこの宇宙全体の中では、非常にたくさんの魂達が集まった集合霊(グループソウル)であっても、また、ある程度、それぞれの魂独自の個性や役割が定まっている一つ一つの魂であっても、この宇宙の創造主の意志の下に、よりトータルの目で見たこの宇宙全体の調和や繁栄を実現してゆけるような方向性の中での数多くの魂達の連帯や、それぞれの魂としての進歩は非常に重んじられるようなところがあるのですが、そうではなく、そうした宇宙全体の調和や繁栄を阻害するような形での数多くの魂達のまとまりや、それぞれの魂としての自我の増長は、どうしてもこの宇宙全体の中で見ると、非常に身勝手な自我の増長や間違いや悪として認定されるようなところがあったということなのです。
ですから、こうした観点から見ると、そうした集合霊やそれぞれの魂が、より宇宙的な規模で調和や繁栄してゆくような形でまとまってゆき、それぞれの魂が進歩してゆくことは、大いに素晴らしい善であるということが言えるのですが、そうではない方向性でのまとまりや個々の自我の増長に関しては、この宇宙では、相対的に悪と認定されるようになったようなところがあるということが言えるでしょう。
Cecye(セスィエ)
2016年2月22日 9:03 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 自然、生命