5、日本の明治時代特有の事情を背景に成立した「大日本帝国憲法」は、時代の変化と共に、やがて日本の国情にも世界の情勢にも全く合わないにも関わらず、ほぼ変更不可能な時代遅れの憲法になっていった
第五には、ここからはある意味で結論に当たるような話になってくるのですが、そうすると結局、戦前戦中まで存在していた大日本帝国の根本法典のような位置づけだった「大日本帝国憲法」というのは、この国の根幹を織りなす憲法としては、いったいどのような位置づけになっていたのかというと、大まかに言うと次のような二つのことが言えます。
まず一つめは、これは戦前も時々議論の対象になっていたようなのですが、要するに大日本帝国憲法のような憲法の内容であると、本当は○○首相や○○大臣や○○大将がやって、大きな成果を上げたことであるにも関わらず、なぜかその大きな手柄や功績は「すべて天皇陛下が偉大であったから」というような話になってしまうとか、あるいは、誰かが大きな汚職や失敗をした際にも、「それは偉大な天皇陛下に本当に申し訳ない万死に当たる行為だ(昔の多少ずれた感のある過剰な責任論になりますが・・・)」というような話になってしまうなどというように、はっきり言うと、その時々の天皇というのは単なる人間であり、なおかつ、たとえその人が亡くなったとしても、次々と代わりの人が代わってできるような単なる役職に過ぎないようなところがあるにも関わらず、なぜかそうした人間個人としての○○というような存在はどこかに吹き飛んでしまい、まるでとてつもなく偉大な「天皇」や「皇族」というような非常に摩訶不思議なイメージや名称上の存在か、あるいは、単なる機械や組織の一部のような訳のわからない存在、もっとはっきり言うと人間というよりも、まるで非常に大きな権威を持った、ある種の空想上のお化けのような架空の存在を国の中心に生み出してしまうような非常に不思議な効果があったようなのです。
Cecye(セスィエ)