二つめは、これはあまり考えたことがないかもしれないのですが、どうも人間というのは、他の生物であれば、その時点で十分に満足してしまいそうなものになかなか満足せずに、「こうやったら、もっと良いかな?」とか、「こうやったら、もっと楽だし、楽しそうだな」とか、「こういう食べ方をすると、もっとおいしいんだ!」とか、「これはとても心地よかったけど、ひょっとしたら、もっと心地よいことがあるのかな?」などというように、どんな物事をやっても、そう簡単には、なかなか十分に満足してゆかないようなところがあるのです。
そうすると、こうした性質を持つ人間が、いったいどのような状況で最高に十分に満足し、また最高に十分にその状況を良いものと思えるようになるのか、というと、これは単純な話になるのですが、心理学者のマズローの欲求の五段階説ではないのですが、まずは、「いつもお腹がすいていて、きつくて辛い」とか、「とても寒くて(暑くて)、辛い」とか、「とても痛くて、苦しい」とか、「とても痒(かゆ)くて、大変だ」などというような状況では、とにかく少しでも、そうした状況を改善しようとし続けるのでしょうが、そうした状況が、だんだん改善されるようになってゆくと、「もう少し、おいしいものが食べれないかな?」とか、「もっと楽に快適にできないかな?」とか、「もっと楽しい幸せなことはないかな?」などというように、さらに少しでも楽に快適に、また、さらに少しでも楽しい心地良いものを求めるようになってゆくようなところがあるのです。
現在のところ、地球上の人類が、いったいどのような段階で、また、いったいどのような体験でもって、最も十分に満足するのか、また最も十分な楽しみや悦びであると認識するようになるのか、というのは、はっきり言って、まだまだ、はっきりわからないようなところがあるのですが、ただ現在の段階でも十分にはっきりしていることは、たとえ様々な試行錯誤があったとしても、多くの人々は、今後も現在と同様に、そのような形で少しでも最善の快適さや楽しさや悦びや満足感を得ようと努力し続けてゆくのではないか、ということです。
Cecye(セスィエ)