三つめは、これは、とても説明が難しいのですが、それでは、神仏は、いったい、どのような理由で光り輝いているのか、ということなのですが、かなり大まかな説明になるのですが、手短かに言うと、こんな理由になります。
昔、まだ、この宇宙が生まれる以前のカオスの時代に、この宇宙の創造主の最初の前身のような存在が(当時は、まだ人間のような姿形はなかったのですが・・・)、ある一つの偉大な発明を思いついたのですが、それは、本当にちっぽけな何もできない存在であっても、どうも自分自身の全身全霊を捧げるような真心を込めて、他者に何かを捧げるような尊い気持ちを持つと、その時にパッと一瞬、光の輝きが生じて、小さな光や熱を発するエネルギーの玉のようなものを生み出せるらしい、ということに気付いたのです。
そうすると、何もなかった空間に、パッと明るい小さな光の玉のようなものが生まれて、ある程度の時間の間、明るく光り輝いているらしい、ということに気付いたので、それ以降、この宇宙の創造主の前身のような存在は、少しずつ、そうした、ひとしずくの愛の光を一つ一つと生み出していっては、その当時の真っ暗闇のカオスの世界を、すべて末永く明るく照らし出してゆけるような、この宇宙の最初の太陽のような大きな光の玉を創ることに全身全霊をかけて、取り組んでゆくようになったのです。
ところが前にも述べたように、この宇宙が生まれる前のカオスの世界というのは、本当にとんでもない取り合い、奪い合いの世界であったので、そのようにして、本当に血のにじむような大変な努力を積み重ねて、やっとの思いで創り出した大きな光の玉であっても、完成した後、しばらく時間が経って、原初的なユートピアのような世界がある程度、出来上がってくると、「これを全部、自分のものにしたい」とか、「お前さえ殺せば、全部、私達のものにできるはずだ」とばかりに、現在の闇の勢力の前身のような存在達が、訳の分からない所有権のようなものを主張しては、様々な手段で陥れて、創造主の前身のような存在を、その時代としては、本当にかなり残忍極まる手段で拷問して殺し、霊的に封印してしまうような悪行を行ったのです。
そのような事態になっても、まだしばらくの間は、そうした光り輝く太陽のような光の玉は、何とか、か細く光り輝き続けていたのですが、ところが、そうした太陽のような光の玉は、最初の創造主の前身のような存在の愛によって生み出された、言ってみれば、彼の霊的な体の一部に過ぎないようなところがあったので、そのうち時間が経つにつれて、だんだん薄暗くなってゆくと、やがて、完全に真っ暗な存在になり、小さくなって消えていってしまったのです。
その後、再び、真っ暗闇の世界になって、かなり時間が過ぎた頃、再び、この宇宙の創造主の前身のような存在が意識を取り戻すと、また、ほとんど何の記憶もない無のような状態から、そうした魂の気づきを得ると、再び大変な努力の末に、そうした最初の太陽のような存在をゼロから創り直してゆくと、その後、結局、同じような終末に至る、というような歴史を、この宇宙が始まる以前のカオスの世界では、本当に星の数ほど、何度も何度も繰り返してきたようなところがあったのです。
ですから、そうした目から見ると、これは物質的な光とは、かなり違った霊的な光の話になるのですが、神仏が、なぜ光り輝いて見えるのか、というと、それは、そうした神仏のような存在は、常に愛と慈悲に満ち満ちた心で生きているからであるということが言えるようです。
※この宇宙が始まる以前のカオスの世界では、本当に星の数ほど、訳の分からない無数の世界の創造と崩壊の歴史(現在の宇宙のイメージとは、かなり違うのですが・・・)の繰り返しがあったので、現在の物質世界の歴史のように、「誰それが、何々をした結果、こういう状況になった」というような単純な一つのストーリーでは、とてもではないが、うまく説明しきれないようなところがあるのですが、こうしたパターンのカオス時代の世界の創造と崩壊の歴史は、本当に星の数ほど、無数に繰り返されてきたようなところがありました。
Cecye(セスィエ)
2014年11月27日 9:07 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 宗教、道徳