⑧物やお金中心の生活から、自分自身や他の人々の楽しみや悦びを中心とした、真の豊かさの実現を目指してゆく
次は、少し違った観点からの話になるのですが、特にゼロ・ポイント以降の物やお金についての話になります。
これは、数十年、数百年というような、かなり長いスパンから見ると、かなりはっきり分かると思うのですが、2000年を過ぎて、十年ぐらい経った辺りの、特に今頃の時期は、多くの人々の間で、物やお金に対する感覚が、かなり大きく変わってゆく時期に当たっています。
紙面の関係で手短かに言うと、日本でも、ほんの数十年前の時代には、どこかで飢饉になると、本当に食べ物がなくなって、飢え死にしてしまう、とか、不景気や失業でお金がなくなると、家賃が払えずに家を追い出されてしまったり、医者にかかりたくてもかかれず、死んでしまったり、子供が学校に通えなくなるどころか、子供を売りに出す家庭まで、たくさん出てくる、などというように、そうした物やお金の価値というのは、本当に人間が生きるために必要な、はっきり言うと、ほぼ絶対になくてはならないくらい非常に重要な要素になっていたのですが、それが特に戦後、社会全体が、だんだん豊かになってくると、そうした物やお金の価値や位置づけというのは、相対的にかなり下がってきたのではないか、ということなのです。
つまり、ほんの一昔前の時代までは、お金がないということは、本当に食べるものがなくて、ひもじい思いをしなくてはならなくなる、とか、本当に住む所がなくて、寒さの中で凍えるような思いをしなくてはならなくなる、などというように、多くの人々にとって、本当に生きるか死ぬか、というくらい重要な意味を持っていたのですが、ところが、現在の日本のように社会全体が豊かになってくると、お金がない貧困な人々と言っても、何らかの形で家に住んでいることが多いし、食べるものもあれば、着るものもあるし、その上、たいていの電化製品やガス器具ぐらいはある、などというように、はっきり言うと、今日のような先進国での貧困の位置づけというのは、一昔前の時代と比べると、かなり劇的に良いものに改善されているようなところがあるのです。
Cecye(セスィエ)
2014年7月30日 9:08 PM, おすすめ記事 / ゼロ・ポイント以降の霊的な注意点について / 人生観、世界観 / 経済