4、多くの人々が信用や信頼を寄せやすいものと、そうでないものとの違いについて
そうすると、これは、よく考えてみると、とても不思議な話になるのですが、実は、多くの人々の心の動きや言動というものを見てゆくと、ある物に関しては、特に大した理由もないのに、なぜか強い信頼感を寄せすぎるような状況になったり、また、その反対に、ある物に関しては、やはり特に大した理由もないにも関わらず、なぜか、ほぼ完全に軽視して、全く信用しない、というか、場合によっては、いつの間にか見聞きすることすら避けようとするような、非常に不思議な傾向があるようなのです。
それは、いったいどのような内容なのか、というと、大まかに言うと、だいたい、次のような四つのことが言えます。
まず一つめは、客観的に見ていると、これは、とても不思議なことなのですが、人間というのは、自分が生まれる前から、ずっとそこにあった物や、自分が、その土地にやってくる前から、ずっとそこにあった物に関しては、なぜか、そうした物があるのをごくごく当然のこと、また、まるで半永久的に、いつまでもあるのが、当然のことであるように考えてしまう、つまり、もっと簡単な言葉に言い換えると、ほぼ無意識のうちに、かなり強い信用や信頼感を寄せてしまうようなところがあるようです。
二つめは、これもよく考えてみると、とても不思議な話であるのですが、人間というのは、自分より身分や立場が上の人間から、「これは素晴らしい」とか、「これは、本当に良いものだ」というような説明を受けた場合には、それ以降、そうしたものに関しては、かなり強い信頼を寄せるようなところがあるのですが、ところが、そうではなく、自分より身分や立場が下の人間から、同じような説明を受けたとしても、それほど強く信頼しない、というか、もっとはっきり言うと、たいていの場合、かなり軽視して、相手にもしないようになることが多いということです。
三つめは、これは、あまり考えたことがないかもしれないのですが、人間というのは、いつもいつも見慣れてしまっているもの、あるいは、テレビや広告などで、何度も何度も見聞きしたものに対しては、特に深く調べて、納得したわけでもないにも関わらず、なぜか、かなり強い親近感や信頼感を寄せるようなところがあるのですが、そうではなく、そうした経験の少ないものに関しては、それなりにしっかり説明を受けたとしても、なぜか半信半疑の感覚のまま、そう簡単には、受け入れようとしない、つまり、なかなか信用しようとしないようなところがあるということです。
それから四つめは、これは、あまり考えたことのある人は、少ないかもしれないのですが、人間というのは、それ以前の自分自身の知識や経験で、かなり価値や信用があると、心底信じているようなものが一緒にくっついていた場合、たとえ、そのもの自身は、あまり信頼できないものであったとしても、そうしたものを、わりと簡単に信じやすいような性質があるということです。
さて、こうした観点から、もう一度、先ほどから述べてきているような信用や信頼感について、考えてみたいと思うのですが、実は、こうした観点から私達の生活を見直してみると、「これは、本当に価値がある」と思われるものと、「これは、本当はあまり価値がないのではないか」と思われるものの両者が、あるいは、「これは、確かにいろいろな観点から冷静に見直してみても、十分に信頼できる」と思われるものと、「これは、よく考えてみると、それほど信頼できないのではないか」と思われるものの両者が、私達の身の回りには、結構、あまり大した区別もされることなく、雑然と存在していることに気付くのです。
Cecye(セスィエ)