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常に感謝の心を忘れない Part 9

⑤神仏は、決して人間の不幸を望んでいないので、一人一人の人間が、自分の幸福をしっかり実現してゆけることが望ましい

 五つめは、これは、愛の罠に類する話になるのですが、実は、愛や感謝の気持ちの強い人は、普通の平均以上に、ちょっと大変な苦労や困難に巻き込まれるようなところがあるので、若干、注意が必要なところがあるということです。

 それというのは、古い宗教の話と違って、神仏自身の立場としては、人間の苦労や失敗を、それほど望んでいないし、また、たいていの人は、大変な苦難や挫折の際には、神仏を思って、一生懸命祈ったり、泣いたり、嘆いたり、叫んだりしていることが多いので、基本的に神仏の立場からすると、できるだけ多くの人々が、普通に平和に幸せに豊かに過ごしていてくれていた方が、仕事が少なくて、自分の時間ができる、というか、やっと神仏自身の、いろいろとやりたいことや幸せの実現ができるようなところがあるので、正直言って、助かるようなところがあるのです。

 つまり、これは人間の立場としては、あまり考えたことがないかもしれないのですが、地上の世界でも霊界でも、あちこちで「今すぐ助けてくれ」とか、「苦しくて仕方がない」とか、「どうしても、うまく行かない」とか、「こんな困難や問題に巻き込まれて大変だ」というような人々が多ければ多いほど、神仏や天使の立場としては、現代人的な言葉で言うと、大変な重労働の労働時間がどんどん増える、というよりも、もっとはっきり言うと、とてつもなく大変な、しかも、たいてい、すぐには解決不能な重大問題ばかりが、天文学的な膨大な量、たくさん押しかかってくることになるのです。

 それが、多くの人々の知性や能力が上がったり、問題解決能力が上がったりすると、その分だけ神仏の負担が減って、そうした神仏的な仕事を担当している存在の自由時間が増える、というか、やっと多少なりとも、個人的な自己実現や楽しみを追求できる時間を確保できるようになるようなところがあるのです。

 ですから、これは、普通の人間の立場からすると、あまり考えたことがないかもしれないのですが、愛や感謝の生活は大事だけれど、神仏の立場からすると、できれば、普段から一人一人の人間が、いろいろと知恵を使ったり、十分に注意したり、人間同士で助け合ったりして、あまり不幸な状態にならないように、また、できるだけ幸福に生きられるように努力していてほしい、というような願いがあるのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2013年11月6日 9:08 PM, 宗教、道徳 / 愛について



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