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常に感謝の心を忘れない Part 3

3、愛や感謝の心で生きることのメリットとデメリットについて

 さて、ここからが、少しややこしい問題になってくるのですが、実は、古今東西、さまざまな事例が教えてくれる通り、人間は、こうした愛や感謝の心によって、本当に、この上ない安心感や幸福を享受してゆくこともあるのですが、ところが気をつけておかないと、こうした愛や感謝の気持ちが悪利用されることによって、とんでもない不幸や災難に巻き込まれてしまうこともあるので、多少、注意が必要なところもあるのです。

 これに関しては、大きく四つのことが言えます。

 

①絶対に暴力や虐待の被害者になってはいけない

 まず第一には、基本的に人間は、何に対しても、自然自然のうちに愛や感謝の気持ちを感じながら生きてゆく方が、より幸せに生きてゆくことができるのですが、ところが、こうした愛や感謝の気持ちを持って生きてゆこうとしても、次のようなケースの場合には、あまり幸福になれないということです。

 それは、どのようなケースなのかというと、例えば、いくら、その本人としては、何らかの宗教的な信仰や道徳的な教えなどで、「他の人を愛さないといけない」とか、「他の人の責任を責めてはいけない」などと心に強く決めていたとしても、毎日のように暴力を振るわれたり、危険な重労働や手伝いを強いられるとか、毎日のように自分の自尊心や心の平安が、ぐらぐらになるような、きつい悪口を言われて、いじめられるとか、今日は、天才や偉人のように褒めそやされたと思ったら、次の日には、全く正反対に最低の馬鹿者や無能の存在のように、こき落とされるような訳の分からない扱いを受けるとか、どう考えてみても、あまりにも不当な最低の扱いや生活を強いられるような状況になっている場合には、単なる宗教ロボットのように、いつまでも愛や感謝の気持ちを持ち続けようなどとはせずに、できるだけ有効な手段で、相手に早期の状況の改善を求めるか、あるいは、何らかのより良い解決のための介入を行ってくれるような外部の人々に、適切な援助や助言を求める必要があるということです。

 

②宗教指導者や政治権力者の行き過ぎた横暴や贅沢には、十分な注意が必要である

 第二には、これは、特に多くの人々の上に立つ宗教指導者や政治権力者についての話になるのですが、要するに大多数の人々は、かなり質素な貧しい生活を送っているにも関わらず、そうした宗教や政治に関わる、ごくごく一部の人々だけが、あまりにも横暴な態度で、豪勢な贅沢すぎる生活を送っているような場合には、単に宗教的、道徳的に愛や感謝の生活をしていればよいなどとは安易に考えずに、できるだけ多くの人々で、しっかりと団結して、そうした一部の贅沢三昧を送っている人々に適切な手段で、大至急の運営の改善や、多くの人々の生活の改善を求めるか、また、場合によっては、かなり抜本的な改革を行って、多くの人々の豊かな生活の実現を行う必要があります。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2013年11月4日 9:02 PM, 宗教、道徳 / 愛について



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