それでは、「かぐや姫」と呼ばれる女性は、本当にものすごい美人だったのか、ということなのですが、当時のその女性からは、辺り一面がちょっと明るくなるくらいの強い光のオーラが放たれていたように見えるので(当時は電気がなく、夜はとても暗かったので)、そうした点から言うと、かなりこの世離れした美人であったように思われます。
ただし感覚的には、当時の普通の女性とはかなり違って、宇宙人というよりも、現代の社会的に自立した女性のような感覚を持っていたようなので、その点では、当時の権力者が、少々何か脅かすようなことを言ってきても、全くたじろがないような凛とした強さと深い知恵と、そして、まるで天女のような美しさを兼ね備えた女性だったように思われます。
それで、結局、最後は、どうなったのか、ということなのですが、当時は、現代人としては全く考えられないほど国家権力の力が、ものすごく強い時代だったので、彼女の立場としては、天からのメッセンジャーとして、ある程度、言うべきことをきっちりと言った後は、地上の権力よりも遥かに強い天の力があるということを、地上の人々に、はっきりと示すために、かなりの無理難題を言って、次々と求婚の申し出を断った後は、今で言う、非常に大規模な宇宙船のデモンストレーションのような形で、彼女は、再び、天の国、月の世界に帰っています。
それでは、最後の宇宙船のデモンストレーションとは、いったい、どのようなものだったのか、というと、最初のようなビーム・シップの形ではなくて、現代人の感覚だと、かなり大きな円盤形の宇宙船が、地上の人々にもはっきり見えるような形で、地表すれすれに降りてくると、宇宙物ではよくお馴染みの例の光のビームのようなものに乗って、宇宙船の中に帰ってゆく、というような、結構、ドラマチックな形の宇宙への帰還を果たしているようです。
これは当時の都では、かなり大きな話題に上る話だったようなのですが(というか、あまりにもセンセーショナルな話だったので、政権側としては全く隠しきれなかった)、当時の事情として、朝廷をそのまま批判するような形の文章は全く広められないし、残せないので(昔の歴史話っていうのは、そんなものです)、その辺りは、かなり薄めて、やがて、月からやってきた不思議な美女にまつわる恋物語のような話に変えて、ずっと伝えられていったようです。
※当時、かぐや姫を育てていた人物は、すでにかなりの高齢だったように見えるのですが(つまり、簡単に言うと、「お爺さん」だった)、仕事は「竹取」というよりも、何か薬草や古くから伝わる伝統医療のようなもので、村人を癒すような仕事をしていたように思われます(とても人柄が良い人だったようです)。ですから、元々は、「竹取物語」というよりも、「竹鳥の話」(竹のように横に細長い光り輝く乗り物に乗ってやってきたので)、あるいは、最後に去っていった時の、大きな光り輝く円盤形の乗り物の形から、「天の花(華)姫」の話、もしくは、「木の花咲くや姫」(大きな木にたくさんの花が咲いているようなイメージから)の話のような呼ばれ方をしていたようです。それから、おそらく、「不老長寿の薬」の話は、月の世界の人々が、ものすごく寿命が長いという話と、このお爺さんの職業が混ざって、後世、付け加えられたもののように思われます。
※「コノハナサクヤヒメ(ビメ)」というと、日本の神道だと、富士山の神体で祭られたりしているようなのですが、どうも古代の聖域の破壊の後の日本では、富士山の大噴火を初めとした数々の内憂外患に見舞われて、一時は、まさしく世の終わりのような状況になったようなので、そうした状況に対処するために、日本の伝統の祟り封じの方法で、彼女を富士山の神体を祭ったのが、そもそもの始まりのようです(現代語的なイメージもありますが、単純に考えて、「オオヤマツミ」、大きな山の罪の娘が富士山の神体という話は、なんだかおかしくないですか?)。当時、女性が結婚することは、男性の一種の所有物、もしくは、奴隷になることを意味していたはずなので、ニニギの妻になったという話は、地上の人間との結婚をあくまで拒んだコノハナサクヤヒメを、天孫降臨神話の中に取り込んで、当時の体制の正当化をはかろうとしたのではないか、と思われます
※(平安時代について)。
Cecye(セスィエ)