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イスラム圏の国々の調和と発展のバランスの取り方について

 現在、一部のイスラム圏の国々が、民主化や経済発展の過程で、多少、社会的にかなり不安定な状況になっているところもあるようなのですが、普通の国際情勢で言われていること以外に、こうしたイスラム圏の国々に関して言えることとしては、だいたい、以下のような二つのことが言えます。

 

①「最後の審判」思想の強い国や地域では、繁栄と衰退や、富者と貧者といった社会の二分化が起きやすいので、注意が必要である

 まず第一には、特に中東の辺りは、「最後の審判の後、天国の世界に行く人々と、地獄の世界に行く人々が、はっきり分けられる」、というような強い宗教的信念を持っている人々が多いために、何らかの形で、そうした集団意識が現実化して、どこかが繁栄すると、どこかが衰退し混乱する、とか、どこかで民主化や自由化が進むと、どこかで圧政や弾圧が進む、というような、ちょっと過激な二分化が起きやすい要素を抱えているのです。

 そうすると、これは、わりと単純な解決策になるのですが、もし一部のイスラム国が、あまりに急激な改革や経済発展の結果、国内外が多少不安定な状況になった場合には、これは一見、間違った妥協のように見えるかもしれないのですが、政府や国民全体のバランス感覚として、他の国と比較して、あまりに急激な改革や繁栄を望むのは一時的に止めて(というか、若干スピードを落として)、その国や地域の以前の状態と比べて、だんだん少しずつでも良くなってきているのであれば、それで長期的な見方としては良しとすると共に、ただし、数十年単位での国家の民主化や経済繁栄のための着実な政策は、きっちり進める、というような、わりと長期的な民主化や経済発展のための政策をとった方が、わりと賢明なところもある、ということです(これは、その国や地域の状況にもよりますが・・・)。

 

②時に宗教心の強い人々にとっては、自由で豊かな社会自体が、不満や敵愾心の温床になることもあるので、かなり注意深い政治運営が必要になることもある

 第二には、これはちょっとおかしな話になるのですが、キリスト教でもイスラム教でもほとんど同じなのですが、実は、何らかの宗教を強く信じているような人は、その国や社会の生活が全般的に、ある程度厳しい状態だと、かなり強い使命感ややりがいや幸福感を感じられるようなのですが、それが、例えば、政治が民主化して、多くの人々が、たくさんの自由を手に入れられるようになったり、あるいは、経済が発展して、多くの人々が非常に豊かな生活を送れるようになると、なぜかそれとは反比例するかのように、政府や社会への反発心や不平不満が強くなったり、あるいは、何となく日頃のやりがいや幸福感を失うようなところがあるようなので、そうした人々にとっては、いっけん何もかも良さそうな民主的で自由で豊かな生活が、とても不自由で不満に満ちたものになってしまうことがあるようなのです。

 その後の経緯は、ちょっとややこしくて、一番大変なタイプは、いわゆる、そうした不満分子のような人々が、何らかの形で政権を牛耳って、一種の恐怖政治を敷くような状況になるか、あるいは、それが行き過ぎて、近隣諸国と大戦争をやった挙げ句、そうした人々の勢力がほぼ壊滅状態になったので、なぜか仕方ないといった形で、そうした民主化や自由で豊かな生活を受け入れざるを得なくなる、というようなプロセスを経ることが多いようです。

 それに加えて、現代だと第三の選択があって、それは民主化や経済発展の中で、政府としては、個人個人に、ある程度の自由は与えるけれども、ただし、暴力や犯罪やテロ行為のような反社会的な行動に関してのみは、断固とした態度をとる、というような手法になります。

 ただ、この場合には、純粋にその国や地域のみで、多くの人々の合意の下で、そうした手法がきっちりとれた場合には、うまく行くのですが、そうではなく、国境の間を自由に行き来しては、訳の分からない煽動や破壊活動を行うような人々がいる場合には、たいてい、なかなか、うまく行かなくなるケースが多いように思われます。

 

Cecye(セスィエ)

2013年9月6日 9:03 PM, イスラム教 / おすすめ記事 / 宗教、道徳 / 社会、文化



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