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カップルも子供達も家族も、最も幸せに過ごすための子育ての知恵について Part 13

③原則、体罰は百害あって一利なしであるが、ただし子供が何らかの行為の危険性や他の人々や生き物の痛みや苦しみを全くよく理解できないような場合には、そうした事情をよくよく分かるようにしっかり言葉で説明してあげた上で、冷静な教育的な観点から多少の体罰に近いようなものも必要な場合がある

 それから第三には、それでは、体罰は全然必要ないのかということについて考えてみたいと思うのですが、私が思うには、基本的に体罰は百害あって一利なしだと思うので、原則、やるべきではないと思うのですが、ただ状況によっては、それがどうしても必要な場合もある、というようなある種のバランス感覚が必要なのではないかということです。

 まずは体罰の有害性について考えてみたいと思うのですが、基本的に人間にしろ、動物にしろ、何らかの危害を加えられたり、苦痛を与えられた場合には、表には出さなくても必ず心の奥、つまり潜在意識の領域において、その危害を加えたり、苦痛を与えたりした相手に対する怒りや憎しみの感情を蓄積することになるので、後からこの世的に何らかの形でその仕返しに当たるような行為をするか、あるいは何度か生まれ変わった後か、あるいは霊的な形でその報復に当たるような行為をすることになります(おそらく、これが少し前の時代において、同じような人が同じような家系に何度も何度も交互に立場が入れ替わるような形で生まれ変わっていた原因の一つだったと思われます)。

 ですから基本的には、たとえ相手が子供であっても、特に武術のような厳しい稽古をしているわけでもないのに不必要な体罰を加えるようなことは、この世的にも霊的にも危険な行為であるとしか全く言いようがないのですが、この世的にはもっと複雑な危険な問題があって、このような形で子供時代に厳しい体罰を加えられて成長した人間は、後々大人になった後の段階で、今度は相対的に体力的に弱くなった親や家族に対して暴力を振るうようになったり、あるいは、それ以外の第三者の誰か、つまり学校の友人や会社の同僚や後輩やそれ以外の他の人々や、あるいはその後、家庭を作った段階で自分の伴侶や子供に対して何らかの危害を加える可能性があるので、これは、本当は単なる家庭の問題というよりも社会全体の問題になっているようなところがあるということなのです。

 次には、それでは、いったいどのような範囲であるなら体罰は正当化されるのか、ということについて考えてみたいと思うのですが、これは単純で、もし子供が何らかの行為の危険性や(できれば、こちらは体罰でない方がいいのですが)他の人や他の生き物の痛みや苦しみを全然理解できないようであるならば、その場合には、子供にそれがいかに自分自身にとって危険であるか、あるいは、いかに他の人々や生き物達にとって痛い苦しいことであるのかということを言葉や動作で分かりやすくしっかり伝えた上で、「怪我しないように、ちょっとだけ叩くだけなんだけど、これは、こんな感じでとても危険なことなんだよ」とか、「他の人には、とても痛く苦しいことなんだよ」などと言って、絶対に体に跡が残ったり、大怪我したりしないように注意しながら一度や二度は、時にはパチンと叩いてあげる必要があることもあるということです。

 この場合は、子供の立場としては、親は自分のことをしっかり認めてくれていて、その上、それは自分に対する怒りや憎しみではなく、自分に教えるために、あえてその時だけパチンと叩いたのだということがはっきり分かっているために、基本的には親子の間で何の精神的な葛藤も生じることはないということと、それから、こういう場合には、まずはその後、同じような形で、その子がみすみす大怪我するような危険なことをしたり、他の子供に対して、暴力を振るうようなことはないということです。

 つまり大切なのは、子供がある程度の年齢になるまでには、一人でも自分自身の安全の確保をきっちり出来るようになることと、それから親から子へ、あるいは子供から子供への怒りや憎しみを伴う暴力の連鎖をきっちりと止めることが重要なので、そのためには子供がそうした親の意図をしっかり理解している状況で、ほんの少しだけ教育的にパチンと叩いたり、ちょっとだけつねるくらいのことは、自分の子供がいくら可愛くてもする必要がある場合もあるということなのです。

 ただ、そうではなく、「何となく頭にきたから殴る」とか、「何となくイラついたから、子供を怒鳴り散らす」というようなことをしていると、親子の間に良好で楽しい人間関係が築けなくなるばかりでなく、だんだん親子の間は疎遠になってゆき、ちょっとしたことで罵声が飛び交うような暴力沙汰になるというような家庭地獄になることもあるので注意が必要なのではないかということです。

※とにかく、いっけん、いくら正当そうな教育的な理由があっても、何か理由をつけては、しょっちゅう訳の分からないお説教をしたり、子供をパチパチ叩くようなことはほぼ問題外であるというよりも、もっとはっきり言うと親という立場を悪用した子供に対する行き過ぎた家庭内の虐待行為に過ぎないということです。

 

 続く・・・

 

 

 追伸

 テレビを見るとよく分かるように、日本だと、なぜか叩くことも愛情表現の一つのように考えられているふしがあるので、放っておくと、いつの間にか兄弟姉妹間で上の子が下の子を何か遊びのような感覚で叩くような変な習慣ができることがあるようです。

 うちのケースでも、そうした場面を発見して、「これは放っておくと、まずいな」と思われたので、「これは遊びじゃなくて、叩くとこんな風に小さい子にはとても痛んだよ」とよくよく言い聞かせた上で、1回だけその時に上の子が下の子を叩いた強さとほとんど同じような強さで、「いいか、こんな風に痛いんだよ」とパチンと叩いてあげたことがあります。

 そうすると上の子は、「ああ、分かった」と言って、その後は、ピタリとそうしたことをしなくなったので(多分、何か勘違いして遊びのように考えていたのでしょう)、また元のように仲の良い兄弟姉妹関係を取り戻すようになりました。

 以降、うちの中では、暴力を伴った兄弟姉妹喧嘩のようなものは一切起きたことがありません。

 

 さらに言うと、実は私の育った家庭では、当時の母親に当たる人が、ずっと暴力をふるい続けていたのですが、私が15歳ぐらいの頃、まだ相変わらず竹の物差しまで出して、訳の分からない小言を言っては、パシパシと叩こうとしてきたことがあったので、ついに私も怒って、その竹の物差しを取り上げるとパシッと同じくらいの強さで叩き返すと、「いいか、これは、これくらいものすごく痛いんだぞ!」、「こんなもので人を叩いてはいけなんだ。分かったか!」と説教し返したことがありました。

 それ以降、当時、私がいた家庭の母親に当たる人物の暴力はピタッと止まったのですが、普通はこうはいかなくて、どこの家庭でも子供がある程度の体格になるまで成長すると、今度は親を叩いたり、殴ったりするような家庭内の暴力沙汰に発展するケースが多いようです(こんな感じなので残念ながら、私自身が育った家庭の話はあまり参考になりません)。

 

Cecye(セスィエ)

2012年12月11日 7:04 AM, 結婚、家庭



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