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言霊信仰について Part 4

4、言霊信仰の強い国では、軍事力によって国家を統一した権力者の血筋の家系が、非常に長期間に渡って、多くの人々の自由や幸福を抑圧し続けたまま、かなりの強権的な支配体制を築くことができた

 さて、それでは見方を変えて、今度は一般庶民ではなく、そうした宗教や国家を動かしていた権力者の側としては、言霊思想というのは、一体どのように見えたのかというと、これはさらに普通の人間としては全く想像もしないような内容になってくるのではないかと私は思うのですが、大体、以下のような五つの内容になってきます。

 

1、軍事力の力で国家を統一した為政者の側としては、多くの人々が、軍備や武術とは全く正反対の非実用的な精神性や習慣の塊である「言霊信仰」を信じてくれていると、自分達だけが軍備を独占して、長期に渡るかなり安定した支配体制を築くことができた

 まず第一には、先ほど述べたような過程でもって、実際には言霊の力ではなく、非常に強力な軍備の力でもって国家を平定した権力者の人達の側としては、次には多くの人々が、そう簡単には彼らに歯向かわないようにさせるために、多くの人々が軍備とか、武術の方に関心を向けるのではなく、そうした軍備や武術とは全く正反対の、言ってみれば、そうした国家の武力支配に半永久的に屈していてくれるような非実用的な精神性や習慣を持ってもらうように必ず仕向けるはずなのですが、そうして考えてみると言霊信仰というのは、そうした国家の支配者にとっては、多くの人々が心から信じ込んでもらう宗教としては、かなり理想的なものであったということなのです。

 つまり国家の権力者の側としては、多くの人々が、そうした言霊信仰を持っていてさえくれれば、自分達だけが軍備を独占して、長期に渡るかなり安定した支配体制を築くことができたということです。

※つまり言霊信仰を多くの人々に信じさせることは、戦国時代の末期に行われた「刀狩り」みたいな効果があったということです。

 

2、言霊信仰の支配している社会では、言霊信仰の霊的なパワーによって、多くの人々をかなり限定された不自由な状態に閉じ込めておくことができた

 第二には、これは霊的なことが分からないと、ちょっと理解しづらい内容になってくるのですが、もし、こうした形で多くの人々が、言霊信仰を心の底から信じ込んでいるような場合には、そうした多くの人々の強い信念によって、実際にそうした言霊信仰の通りの現象が、ある程度は起きたはずであるということです。

 つまり、これは現代だと、ほぼ完全に一種の精神病のような扱いになっているのですが、ある人が何かの宗教を信じていたり、あるいは何らかの強い信念によって、「誰かが強く信念を込めて言葉に出したことは、その人の霊力によって、実際に自分の身に起きるのだ」というような考え方を持っている場合には、精神の世界の法則としては、実際にそうした信仰や信念を持っている人々の間でだけは、言霊がある程度、現実になるようなところがあったということなのです(つまり逆に言うと、そんな言霊の力なんて全く信じないような人々の間では、そうした言霊のパワーなんて、ほとんど発現しなかったということです)。

 これは現代、この地球のあちこちに残っている原始的な部族宗教のようなものにおいては、今でもかなりポピュラーな宗教観ではあるのですが、それでは、こうした原始的な部族宗教のようなものが強く信じられている社会では、一体、誰が一番得をするのかというと、これは、たいていの人は、あまり考えたことがないことではないかと思われるのですが、代表的な例としては、次のような三つの状況が考えられます。

 

①言霊信仰の信じられている部族の間では、その長やシャーマンの言葉によって、かなり強力な結束力を伴う支配体制を築くことができた

 まず第一には、部族の中で、部族の長の言うことを聞かない人間が出た場合、普通は、みんなで追いかけ回したり、何らかの懲らしめのようなことをするのでしょうが、こうした言霊信仰がある場合には、その部族の長やシャーマンのような人が非常に強い言葉で、その反抗者に対して呪いをかければ、その呪いが効いて、その反抗者は、バタンと倒れて死ぬというようにみんなが固く信じているので、そうした部族というのは、言霊信仰によって非常に強固な結束力で結ばれることになるということです。

 つまり、これは霊的な手段による、かなり強力な一種の恐怖政治が実現できたということです。

 

②言霊信仰が強く信じられている社会では、多くの人々の自由な発言や行動を強い恐怖心によって、ほぼ完全に封じ込めることができた

 第二には、こうした言霊信仰が広く信じられている社会においては、「その言葉を言うだけで祟りがある」とか、「その話題には、絶対に誰も触れてはいけない」とか、「そんなことは考えるだけでもいけない」などというように、現代の民主主義国の「言論の自由」や「表現の自由」に当たるような考え方や行動を、ほぼ完全に封じ込めてしまうことができたということです。

 当然のことですが、これは権力者にとっては、その国を支配するのに非常に有利なことであったということです。

 ただし、こうした言霊信仰が支配している社会においては、常に多くの人々が、自分の行動や言葉づかいに対して、潜在意識的に非常に強い恐怖心を抱えていることが非常に多いので、その結果、その社会全体としては、みんな能面づらで、あまりユーモアの通用しづらい社会になってゆく傾向があるようです。

 

③言霊信仰の信じられている社会では、権力者にとって都合の悪い人間を言霊の力によって、この世ばかりでなく、死後の世界においても、彼らを祟らないように真っ暗闇の世界に閉じ込めておくことができた

 第三には、これもあまり考えたことのない人が、ほとんどなのではないかと私は思うのですが、実は、こうした言霊信仰を持たせている社会においては、その国の権力者にとって都合の悪い人間を、この物質世界ばかりでなく死後の世界においても、ほぼ完全に真っ暗闇の世界に閉じ込めたまま封印できてしまうようなところがあったということです。

 実は、現在までの地球においては、こうした形で、この地球の支配者の人達にとって邪魔な人間を単に殺すだけでなく、死後、その人の魂がそうした支配者の人々を祟ったりしないように、その人の魂を真っ暗な世界に封じ込めてしまうための一種の魔術のようなものが、隠れた形でずっと行われてきていたのですが、その根っこの仕掛けに当たっているのが、今述べているような言霊信仰であったということなのです。

 ただし、こうした言霊の力による魂の封印が行われている社会では、たいていその反動として、そうした霊的に封印された数多くの魂達が、いろいろな機会に地上の世界に出てきては、何らかの祟りのようなことを起こしてくることが非常に多かったので、それゆえ、そうした社会においては、ほぼ必然的に「○○の霊の祟りを封じるために神社を建てる」とか、「○○の怨霊(おんりょう)の怒りを鎮めるために何かの生け贄の儀式をする」というような一種の「怨霊信仰」のようなものが、そうした言霊信仰とセットでだんだん増えてゆくような傾向があったようです。

 このように言霊信仰のようなものが、その社会全体で信じられていると、その社会を支配している人々としては、そうした言霊信仰が信じられていない社会の人々よりも、ずっと容易に何百年もの長きに渡って、多くの人々を支配し続けることができたということが言えるでしょう。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年7月3日 9:24 PM, キリスト教 / スピリチュアリズム、霊界 / 宗教、道徳 / 政治 / 歴史 / 社会、文化 / 神道



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