③大迷宮の正体は、鏡の魔術の裏世界であった
第三には、これは、たいての人にとっては、ほぼ無意識の領域の話になるので、なかなか分かりづらいと思うのですが、結局、なぜ、多くの人々が、大迷宮の中から出られなくなってしまうのか、というと、それは、前にも少し述べたことのあるような、鏡の魔術によって、普通の人生体験では、絶対にあり得ないような、無数の不思議極まる幻術やトリックのようなもので、大混乱させられてしまうからなのです(参考1、参考2)。
ここでは、もう少し、具体的に鏡の魔術の様子について、述べてみたいと思うのですが、大まかに言うと、だいたい、四つのことが言えます。
一つめは、実は、その大迷宮の中の世界では、ほぼすべての存在が、現実の存在ではなく、言って見れば、一種の幻想、というか、かなりリアルな立体映像になっているようなところがあるので、それゆえ、自分が見聞きしているものを、すべてがすべて、本物と考えていると、途中で、ほぼ間違いなく、一種の狂気状態に陥れられてしまう、ということです(ただ、そうしたイデアの世界でも、結構、かなりのリアリティを伴う体験をしていることが多いのですが・・・)。
二つめは、これは、冷静に考え直してみないと、なかなか、よく分かりづらいのですが、実は、その大迷宮の中の世界というのは、無数のたくさんの鏡が並べられているような鏡の世界、もしくは、無数のたくさんの立体ディスプレイが、あちこちに並べられているような、テレビ世界になっているようなところがあるのです。
ですから、はっきり言うと、一度入ったら、「入り口があったので、必ず、出口があるはずだ」、というような固定概念自体が間違いで、本当は、そこから出るためには、自分の身の回りにある鏡という鏡、あるいは、テレビというテレビを、片っ端から、すべて否定して、ぶっ壊してゆくしかない、というような、とんでもない仮想現実世界になっていた、ということなのです。
三つめは、これは、とても恐ろしい話なのですが、先ほど述べたような、至福と快楽に満ちた「光のイデアの世界」と、恐怖と苦痛に満ちた「闇のイデアの世界」の中に、自分自身の意識をしっかり取り込まれた上に、さらに、それらの、いろいろなバリエーションが、無数に無限に、半自動的に生成されるような、異常な時空間の中に閉じ込められてしまった場合には、いつの間にか、次々と、自分の身の回りに現れてくる人々や生き物達というのが、「あれも自分の影やコピー、これも自分の影やコピー」、などというように、言ってみれば、多少、姿形や個性は違っても、自分の魂のコピーのような存在達と、一生懸命、仲良くしたり、深く愛し合うような状況にさせられたり、あるいは、激しく競わされたり、戦わされたりするような状況にさせられてしまうことがあるのです。
それから、四つめは、これも、本当にとんでもない話になるのですが、そうした鏡の世界では、自分の意思とは全く関係なく、突然、その世界の概念や法則性のようなものが、それまでとは全く異なる正反対のものに、コロッと変わってしまうようなことが、しょっちゅう起きるのです。
そうすると、それまで、正義とされていたものが、突然、悪に変わったり、あるいは、それまで良かったものが、突然、悪くなったりするようなことが、しょっちゅう起きることになるので、はっきり言うと、そんな無秩序な世界では、どんなに賢い、聡明な機転の効く人物であったとしても、いったん入り込んでしまうと、なかなか出れなくなるような状況になりがちだった、ということなのです。
これらの世界の様子は、みなさんが、時折、悪夢の中でかいま見る世界や、よく精神病患者の人々が、一生懸命、説明しようとしている幻覚や幻聴の世界とほぼ同じような様相になっている、ということなのですが、実際、そうした世界が、この地上の世界でもなく、また、霊界とも言えないような、ある種の裏世界のような領域に、かなり大きな規模で、現実に存在していた、ということなのです。
※正確に言うと、鏡というのは、単に、光を反射する平面型の光学機器に過ぎないので、よく考えてみれば、別に、左右を反対に映しているわけでもないし、また、鏡の中に、別の世界があるわけでもないので、当然、「逆さまの国(世界)」の象徴や出入り口になるはずもないのですが、なぜか、多くの人々は、特に時代をさかのぼるほど、鏡に対して、一種独特の魔術的な、異様な畏怖心や神秘感を感じていたようです。
Cecye(セスィエ)
2013年6月14日 9:06 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 時間と空間の秘密