それから、第三には、これは、単純な指摘になるのですが、よく考えてみると、日本の国旗に関しては、正直言って、国旗に含まれる意味が、何のことだか、全然、よく分からないようなところがあるので、民主主義国のシンボルとしては、かなり不適切なのではないか、ということです(普通、みんなで決めた、民主主義国の旗なら、「この旗の青は自由、白は平等、赤は博愛の意味」、とか、「太陽や月や星の意味は、○○」、とか、はっきりしているものです)。
それというのは、赤い丸は、「日章」なので、おそらく、日の出か、夕陽の意味なのではないか、と、かなりはっきり分かるのですが(普通、昼間の太陽だと、黄色か白のような色になるので)、ただ、日本では、太陽をシンボルに使うと、太陽神の「天照大神」を連想してしまうようなところがあるので、現在のような、信教の自由の認められている日本だと、これは、どちらかと言うと、日本人のシンボルというよりは、単なる天皇家のシンボルになってしまうのではないか、というような素朴な疑問があります。
それから、日本では、紅白は、吉の意味があるのですが、ただ、白地は、何のことなのか、完全に意味不明なので、正直言うと、現在の日本の旗は、日本国民の旗というよりかは、単なる天皇家の紋章のような意味になってしまうのではないか、ということなのです。
※国家のシンボル・マークとなる旗を作るのであれば、基本的には、なるべく、多くの人々が議論に参加するような形で、現代の「民主主義国、日本」の国旗にふさわしいような国旗のデザインを、しっかり決めた上で、そのデザインの意味も、明確に言葉で説明できるようにしておかないと、まずいのではないか、ということです(逆に言うと、そうした経緯をふまえているのであれば、基本的には、「日の丸」でも、別に、全然、構わない、ということになります)。
次には、「君が代」について、考えてみたいと思うのですが、私は、子供の頃から、この歌の意味が、全然、分からなくて、正直、なぜ、みんなで歌わなくてはならないのか、よく分からなかったようなところがあるのですが、要するに、「君が代」の歌の意味を考えてみると、明治期に国歌として、定められた経緯から推測するに、「君が代」というのは、「今の天皇の治世」というような意味になり、それから、難しい古語の続きの下りは、単純に翻訳するに、「ずっとずっと、果てしなく長く続きますように」、というような意味になると思われるので、要約すると、「現在の天皇の治世が、いつまでも、いつまでも、果てしなく長く続きますように」、というような歌の意味になるのではないか、と思われます。
※多分、こうした歌の背景としては、昔は、国民に人気のある国王がいても、その後に世継ぎが変わると、いろいろ政治的なごちゃごちゃが起きることが多かったからなのではないか、と思われます。逆に、国民の受けの今ひとつの国王の場合には、「早く変わらないかな〜」、だったと思われます。
ただ、問題なのは、現代の日本は、戦後、もう何十年も前に、象徴天皇制に移行していて、国民の代表の内閣が、政治を担当していて、基本的に、「再び、昔のような大戦争が起きるといけないので、天皇は、政治に、一切、口出ししてはいけない」、というような政治制度になっているので、現実には、天皇の治世なんて、全くない、ということと、それから、これは、多くの日本の方々に、直接、聞いてみたいくらいの話なのですが、要するに、総理大臣や大臣の人々を初めとする、多くの人々の本音として、「本当に、君が代の歌詞みたいなこと、心から願って、歌っているのですか?」、と尋ねてみたくなるくらい、今日の多くの人々の素朴な感覚と、かなり、かけ離れた国歌になってしまっているのではないか、ということなのです。
※こうした歌詞では、普通の人が、あまり深く考えないような、難しい古語の歌詞の意味が分かるような人の中には、「自分は、神道の信者ではない」、とか、「これは、思想・信条の自由の侵害に当たるのではないか?」、などと考えて、歌うことを拒絶するような人が出てくるのは、当然だと思われます。そもそも、国民の大半が、意味がよく分からないような国歌の歌詞というのは、問題なのではないか、と思われます。
私自身の率直な感想としては、もし、国歌を作るなら、世界の他の国々と比べた、日本という国や地域の良さや、日本国民の気高い理想(もし、あるなら・・・)や、多くの人々が、悦び、幸せとなることを目指すような意味合いの歌にすればよいのではないか、と思うのですが、残念ながら、現在の日本の国歌には、そうした要素が、ほとんど皆無なのではないか、ということです。
ですから、こうした単純な理由から、私は、現在の日本の国旗にしても、国歌にしても、もう少し、普通の民主的な経緯を経て、ちゃんと国民全員の意思で定めるようにしないといけないのではないか、というように、率直に感じております。
Cecye(セスィエ)
2012年11月17日 9:03 PM, 社会、文化