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より冷静で客観的な歴史認識を持った上での、世界の国々と末永く平和に繁栄してゆけるような未来志向の国家運営を目指して Part 2

2、第二次世界大戦後、日本は敗戦して焼け野原となり、植民地も失い、全世界から非難されるような悲惨な状況になったにも関わらず、なぜか戦後の世界では、日本の末永い平和と繁栄の実現や、アジアの植民地の独立と繁栄や、それから有色人種の人権の獲得といった戦前の日本の戦争目的は、ほぼすべて達成されるというような不思議な歴史のパラドックスが起きた

 第二には、これは日本の歴史を研究してる一部の人々が、時々公言していることとほとんど同じような内容になってくるのですが、実は「なぜ、ああした形で昭和期の日本が大戦争をやらなければならなかったのか」ということはともかくとして、とにもかくにも言えることは、なぜか日本が大戦争をやって敗戦したことによって、戦前というか、幕末以降、ずっと当時の政治指導者や多くの日本人が期待していた政治的、軍事的な理想は、ほぼ叶えられるような状況になってしまった、というような非常に変わった歴史のパラドックスが起きたということです。

 つまり第二次世界大戦前の世界の状況というのは、いったいどんなものだったのかというと、まず第一には、これは歴史の汚点としか全く言いようがないのですが、16世紀頃からヨーロッパの国々が次々と勃興してくると、当時としては、比較的進んでいた彼らの強力な武力を使って、世界中で弱そうな国を見つけると、それこそ片っ端から侵略しては植民地にしてゆくような世界の歴史が、ずっと続くことになっていたということです。

 第二には、これは今述べたこととほとんど同じ理由から起きたことなのですが、それ以降、そうして次々と植民地にされた地域では、ものすごい政治的弾圧と搾取と人種差別と文明の破壊が行われることになっていたにも関わらず、なぜか、あれほど民主主義や人道主義の盛んなキリスト教圏のヨーロッパ諸国であっても、それに関しては、ほとんど全く何の抜本的解決のための手段も講じようとしなかったということです。

 第三には、これはあまり言われることは少ないのですが、特に第二次世界大戦前までは、まだ現在ほど「民主主義」という国家統治の手法がメジャーではなくて、そうではなく世界中で勢いのある国は、どこもものすごい権力を持った「皇帝」のような人物が、かなり強力な政治的、あるいは軍事的リーダーシップを持って、あっちでもこっちでも次々と戦争を起こしたり、侵略や略奪を行うような状況になっていたということです。

 それでは、こうした第二次世界大戦前の状況は、そうした大戦が終わった後、いったいどのように変化したのかというと、これはとても不思議な話なのですが、大まかに要点だけ言うと、だいたい次のような形に大きく変化してしまったということです。

 まず第一には、これは大戦前には、はっきり言うと、連合国側のどの国もあまり真剣に考えたことのなかった内容なのではないかと思われるのですが、キリスト教圏の大柄の白人の国ではなく、小柄で黄色い肌のアジア系の日本が、たとえ一時的にせよ、当時の大国であったアメリカを初めとするヨーロッパの国々を、ほぼ完全にアジアから駆逐してしまうくらいの大々的な軍事活動をやってのけてしまったために、以後、アメリカもヨーロッパの国々も、アジアを初めとする世界中の国々に対して、もう積極的な植民地政策や、それから、それに伴う政治的な弾圧や、経済的搾取や人種差別や、文明の破壊ということが、基本的に一切できなくなってしまったということです。

 第二には、これもとても不思議な話なのですが、第二次世界大戦後、当時のアメリカが、おそらく3分の2ぐらいは良い動機で、もう3分の1ぐらいは、ちょっと復讐や怒りの気持ちが入り交じったような形で(まだ戦争の直後だったので・・・)、半独立国の扱いで再出発させた日本が、その後、国際的な政治関係においても、また経済的、文化的にも、あまりにも短期間のうちに国際平和を心から志向する世界の優等生として再復活してしまったために、それまで「アメリカやヨーロッパの背の高い頭の良い白人の国々が、近代的な文明国になれたのは当然だけど、背の低い黄色や黒の肌の馬鹿な自分達には、全然無理だ」と思っていたアジアの国々まで日本との関係を深める中で、どんどん政治的な安定や経済成長を成し遂げて、次から次へとアメリカやヨーロッパとほとんど差がないくらいの一人前の立派な国家に成長してゆき、やがて戦後の国際社会では、そうした国々が、昔の主要国とほぼ同じくらいの大きな影響力を持つようになっていったということです。

 第三には、これは今述べたこととほとんど一緒なのですが、大戦前は、キリスト教圏でない資源もない土地も狭い国は、どうにも発展の見込みがないのが世界の常識であったのですが、それが戦後、そうした状況から、わりと短期間のうちに日本が高度成長を遂げて、経済的に先進国の仲間入りを果たしてしまったために、以後、次から次へと「日本に続け!」とばかりにアジアの国々が、経済立国を目指して高度成長することによって、それ以降の世界では、戦前は、まだ小さな農地や鉱山やジャングルや荒れ地ばかりだった国々が、次々と近代的な大都市のある、より豊かな社会に変貌してゆくようになったということです。

 それから、第四には、これはあまり言われることが少ないのですが、大戦前までは、世界中で派を競っていた「大帝国」というのが非常にたくさんあったのですが、第二次世界大戦後、大日本帝国も含めて、なぜか世界中から「皇帝」と呼ばれる人々が統治している大帝国というのが、ほぼ完全になくなってしまった(それ以前からの歴史の流れでしたが・・・)ということです。

 それに変わって大国となったのは、連合国の主要な大国であったアメリカやソビエトであったのですが、いずれにしても大英帝国は、戦後、次々と植民地が独立して、かなり緩やかな連邦制の国に変わり、それから日本では、戦後も「天皇」という名称は、一応そのまま残ったのですが、天皇は政治権力の全くない名誉職のような扱いになったので、その結果、「大日本帝国」という国名もなくなり、今日の「日本」(もしくは「日本国」)という国名に変わったのですが、要は、なぜか第二次世界大戦後、世界から実質的に「皇帝」の統治している「帝国」というものが、ほぼ完全に消え去り、それに代わって程度の違いはあるのですが、基本的には戦前よりは、より民主的で、より侵略や搾取の少ない世界に変化していったということなのです。

※「天皇」というと、名称的には「皇帝」とほぼ同じような意味になるのですが、戦後の日本の「天皇」の政治的実態としては、政治権力が、ほぼ全くない名誉職としての「国王」のような立場になっています。

 そうすると、いったいどのようなことが言えるのかというと、これは本当に歴史のパラドックスとしか全く言いようがないのですが、日本という国自体は戦争で負けて、多くの人々が家族や家を失い、さらには植民地も失い、何かあると世界中から昔のことを非難されるような状況になったにも関わらず、なぜか、より大きな世界的な視野から見ると、今日私達が生きている20世紀の後半から21世紀の初めの世界において、後世の歴史から見て、「人類が、より良い方向に進歩した」と言えるような世界の大変化のために非常に大きな貢献をしたように見えないこともない、というような、はっきり言って、何だか訳の分からないような不思議な国家の位置づけになってしまったということなのです。

 ですから、これも結果論なので非常に不思議な話なのですが、戦前の日本が掲げていた戦争目的、つまり日本の末長い平和と繁栄の実現や、アジアの植民地の独立と繁栄の実現や、有色人種の人権の獲得・・・、といった、ほぼすべての戦争目的は、なぜか日本は、あの大戦で完全にボロ負けしてしまったにも関わらず、軍事的な帝国主義的なものを除き、ほぼ完全に達成してしまった、というような非常に不思議な未来の状況になってしまったということなのです。

※ただし、大日本帝国時代の「太平洋戦争開戦の詔」によると、そうした大義名文を掲げた戦争目的は、ほとんど掲げられていないのですが・・・(参考)。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年8月14日 9:08 PM, 政治 / 歴史 / 軍事



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