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「陰陽説」について Part 40

6、その国や地域で、「無の宗教」が、一定の社会的立場を得るようになると、その次には、多くの人々の仕事や生活に、もっと身近で、実用性のある、占いや縁起担ぎの商売が、その社会の主要な、半宗教的立場を得るようになってゆく

 第六には、今度は、少し変わった話になってくるのですが、そうすると、こうした無の宗教がはびこるような社会において、次には、いったい、何が流行るのか、というと、これを言うと、うんうんと、うなづく人が非常に多いかもしれないのですが、それは、さまざまなタイプの「占い」になってくる、ということなのです。

 ところが、ここで問題なのは、要するに、最初の段階から、「あんた、そんなこと、願ったって、無理に決まってるでしょ」、とか、「ちょっと、あんた、まずは、自分の置かれた状況をよく考えてから、相談に来てくれ」、と言いたくなるような人々が、大勢、そうした、ほんの一握りの占い師の所に押し掛けてくることになるので、勢い、占い師の側としては、「一応、昔からのしきたりに沿った占いは、ちゃんとしてあげるけど、それで、もし、はずれたとしても、それは、正当な占いの結果、もしくは、神様の思し召し(おぼしめし)だからね・・・」、とか、「それよりも、とにかく、幸運が欲しいなら、占いよりも、中国古来の凄い効き目のある縁起担(かつ)ぎの方法が、たくさんあるから、それを勧めるあるよ(再び、中国映画風・・・)」、ということになって、こうした無の宗教の支配する社会では、だんだん、「冴えない貧乏暮らしから抜け出すために、ここで、一発当ててやろう」、とか、「いや、その前に、まずは、当たるかどうか、よく当たる占い師に占ってもらおう」、などという具合に、街のあちこちで、結構、荒っぽい賭け事が流行るようになったり、あるいは、そうした占いから発祥した、いろいろな縁起担ぎの方法が、まるで、仕事や生活の必需品みたいに、大々的に流行るようになってゆくのです(これは、決して、縁起担ぎのようなものが、全部、間違っているという意味ではありませんが・・・)。

 そうすると、ここで、非常に面白い結論に達するのですが、実は、陰陽説の支配するような社会では、やがて、そうした陰陽説の全く予期せぬ弊害から、だんだん、その社会全体に、分割主義が行き渡るようになってゆき、その結果、いつの間にか、無の神仏が流行るようになると共に、さらに、そうした無の神仏の横には、まるで仕事や生活の必需品のように、たくさんの占いや縁起担ぎの商売や、それから、結構、荒っぽい賭博が流行るようになってゆく、ということなのですが、実は、こうした因果関係には、さらに、その先があって、実は、こうした無の宗教の社会では、そのうち、そうした、あまり、ご利益の確かでない、無の神仏よりも、多くの人々の仕事や生活に、もっと身近で、利便性の高い、さまざまな占いや縁起担ぎの商売や、それから、賭博稼業の方が、多くの人々の人気や信望を得て、そのうち、そうした無の宗教よりも、より役に立つ、ある意味、実用的な、半宗教的立場を得るようになってゆく、ということなのです。

 つまり、陰陽説の支配する社会では、そのうち、無の宗教が主流となり、さらに、その後には、そうした無の宗教に取って代わって、占いや縁起担ぎ商売が、半宗教的役割を担うようになってゆく、ということなのです(そうした経緯で、陰陽マークの周りには、いつの間にか、まるで当たり前のように、占いマークがつくようになったのではないでしょうか?)

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年7月4日 9:02 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 中国思想 / 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 知恵、正しさ / 社会、文化



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