ちょっと、かなり忙しくて、原稿の続きが書き上がっていないので、前に、まだ話が続いている(というか、陰陽の話は、その話の中の一部なのですが・・・)「キリスト意識」の話の続きがあったので、今日は、とりあえず、それを載せておくことにします(この続きは、陰陽の話の後になります)。
非常に長い期間に渡って、不安や苦しみの絶えなかった地上の世界における、多くの人々の心から欲求や願望を反映するような形で、いろいろな時代のいろいろな地域の神仏の個性や能力や役割が、どんどんと変化し、決められてゆくようなところがあった
ただ、ここで一つ問題が出てくるのですが、実は、地球上の宗教であると、どの宗教においても、このキリスト意識を理解する上で、とても重要な一点が、たいてい、どこも完全に抜け落ちてしまっていることが、非常に多いということなのです。
それは、いったい何なのか、というと、これは聞く人によっては、非常に驚かれるような話になるのではないか、と思われるのですが、この宇宙の「キリスト意識」と呼ばれる存在は、これは後から、もう少し詳しく述べたいと思うのですが、実は、とにもかくにも苦しみの多かった、この地上の世界において、心の底からの安心や救いの欲しかった多くの人々の、言ってみれば、一種の想像の産物のような要素があったということなのです。
それというのは、この地上の世界で生活していると、何をやっていても、たとえ、どんなにリッチで安定した生活をしていたとしても、時々、ものすごく不安で心配になってくるようなところがあるからなのです。
つまり、仕事や家庭上の争議や失敗もあれば、病気もあれば、死の苦しみもあるような、この地上の世界において、多くの人々が、「何とか、少しでも心の底からの安心や平安を得ることができないか」とか、「何とか、心の底からの本当の救いや希望を見いだすことができないか」ということを、非常に長い期間に渡って、一心不乱に求め続けた結果、言ってみれば、多くの人々の心の中の想像上の世界に、「きっと、いつか自分達は、本当の平安や幸福を手に入れられる日が来るのだろう」とか、「きっと、いつか自分達は、永遠の至福の天国のような世界で生きられるようになるのだろう」などと非常に強い憧れや羨望を持つうちに、いつの間にか多くの人々の心の中に、ほぼ共通した潜在願望として描かれるようになった、一種の想像上の存在のような要素が、神仏の個性や能力や役割の中には、かなり強く反映されるようなところがあったということなのです。
ですから、この地上の世界の宗教では、たいてい、こうした神々のイメージというのは、戦争が絶えない世の中であれば、強い軍事的な英雄の神のイメージ、欲や喧噪の絶えない世の中であれば、優しい慈悲や心の平安の仏のイメージ、それから無知や間違いの多い世の中では、叡智や公正な法を司る神のイメージ、絶え間ない混乱や不幸の続く世の中では、永遠のパラダイスや桃源郷に住む神のイメージなどという具合に、実は、こうした神仏の個性や能力や役割というのは、その時代のその地域の人々が、最も心から望むような神仏の性格や能力や役割を持つような方向へ、常に常に変わり続けてゆくようなところがあったのです。
ですから、これは多くの人々が、ちょっと、かなりがっくりしてしまうような話になってしまうのではないか、と私も思うのですが、実は、同じキリスト意識の中の神々の個性なのに、なんで、こんなに姿形や性質や能力が全然違うのかというと、その理由は、そうしたキリスト意識自身にあるのではなくて、どちらかと言うと、地上の世界における、その時々のその地域に住んでいる多くの人々の最も強い願いや欲求、というか、ニーズを反映するような形で、そうしたキリスト意識の一部と思われるような神々の個性や能力や役割というのが、どんどんと変化し、決まっていったようなところがあったということなのです。
Cecye(セスィエ)
2012年6月13日 9:07 PM, イスラム教 / キリスト教 / スピリチュアリズム、霊界 / ユダヤ教 / 中国思想 / 仏教 / 宗教、道徳 / 神道