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「陰陽説」について Part 11

③多くの人々の代表が話し合い、民主的な過程で定められた法律に関しては、「この行為は、法律に触れないので、全く罰されないが、この行為は、法律に触れるので、いかなる人であっても、平等に罰される」、というような、単純至極な二元論的な「法律」の概念が貫かれていた方がよいと言える

 第三には、これは、無政府状態になっている国でもなければ、はっきり言って、どこの国もほとんど同じなのではないか、と思うのですが、要するに、現在の世界では、どこの国であっても、その社会の中で、多くの人々が、できるだけ安心して、楽しく生活してゆけるように、「一般市民としては、これはしてもいいけれども、これはしてはいけない」、というようなことを定めた法律に基づいて、多くの人々が生活していると思うのですが、当然のことですが、よほどの非人道的な、時代錯誤の法律でもない限りは、基本的に、「この行為は、法律に触れないので、全く罰させないが、この行為は、法律に触れるので罰される」、などというように、わりと単純な二元論的な価値観が貫かれていた方がよい、ということです。

 ですから、こうした法律に関しては、多くの市民の代表が、議会で、ちゃんと話し合って、決めたものであるならば、「法律に触れないなら、決して、誰も罰されないが、法律に触れたら、いかなる人であっても、ちゃんと罰される」、とか、「この人は、特別なので、法律に触れても、全然、罰されないが、この人は、平民や差別対象者なので、特に法律に触れなくても、いくらでも罰することができる」、というような、いい加減な法律の運用は、基本的に民主主義社会では、絶対に許されないことにである、ということです(逆に言うと、みんなが守れないような法律で、罰されたり、罰されなかったりする人がいるような状況は、全然、ダメで、そうした法律は、すぐに変更するか、廃止しなくてはいけない、ということです)。

 

④人間と人間(団体も)同士の約束事や契約関係に関しては、「これは約束なので、守らないといけないが、これは、約束していないので、守らなくてもよい」、などというように、単純な二元論的な物の見方で良いと思われるが、ただ、こうした約束事や契約関係以上の、人間的な要素は、もっと大切なものである、ということは、決して、忘れてはいけないようなところがある

 第四には、これは、あまり深く考えたことがない内容になるかもしれないのですが、人間と人間(団体も)の間の約束事や契約関係に関しては、もう単純に、「誰と誰が、その約束や契約をするのか」、とか、「この契約条件の下では、これを行うが、この条件でない場合には、やらない」、とか、「これを遵守した場合の特典や利益は、これで、それを破った場合のペナルティーは、これである」、とか、「その約束や契約の期間は、いつまでで、どうした条件の時には、それが無効になるのか」、などというようなことに関しては、お互いに、絶対に不利益にならないように、お互いの利益と幸福のために、最初の段階において、しっかりと取り決めすることが重要になるのですが、これも、言ってみれば、「この場合は、こうだけど、この場合は、こうである」、というような一種の二元論的な物の見方になる、ということです。

 ただ、これは、世間の実態により近い考え方になるのですが、世間においては、そう簡単に、何でも約束や契約だけで、うまく行くものでもないので、基本的には、人間同士のお互いの信用や愛情に基づいて、そうした取り決めを行うようにしておかないと、「確かに、約束や契約は、しっかり遵守されたのだが、その結果、大した理由もないのに、大切な人間関係がボロボロになってしまった」、とか、「相手に感情が入りすぎて、約束や契約がなし崩しになって、結果として、双方共、大損害を被った」、というような事態になることもあるので、非常に注意が必要である、ということです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年6月3日 9:03 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 中国思想 / 政治 / 社会、文化



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