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「陰陽説」について Part 12

⑤人類の歴史に登場して、まだ日の浅い、機械やプログラムに関しては、「これは出来るが、これは出来ない」、とか、「これは得意だが、これは、不得意である」、というような、単純至極な二元論的な態度で接して、最大限に、その良さを引き出して、人間生活を、より便利に、快適にすることは、とても大切なことである

 それから、第五には、これも、あまり聞かないと思うのですが、現代では、私達の仕事や生活に、ものすごく身近になった機械やプログラムに関しては、私は、基本的に、「これをやったら、こうなるが、これをやると壊れる」、などというような、二元論的な考え方を持って、取り扱うべきなのではないか、と心から思うのですが、ところが、地球人類の文明では、こうした機械やプログラムに接して、長くて、数百年、短いと、数年という人々が多いせいか、なぜか、多くの人々は、こうした機械やプログラムに対して、「これができないのは、機械やプログラムが悪いんだ」、とか、「機械なんだから、これくらい乱暴に扱っても、壊れないのは当然だろう」、などというような感じで、結構、乱暴、というか、結構、人間中心的、というか、機械やプログラムの特性や事情というものを、あまり深く考えずに、かなり自己中心的に、機械やプログラムに接することによって、結果として、機械やプログラムの良い面を、あまりうまく引き出せなかったり、あるいは、わりと、すぐに壊してしまうような人々が、まだまだ、かなり多いように感じるのです。

 ですから、これは、まだ現代でも、多くの地球人が、学習中の課題だと思われるのですが、「機械やプログラムには、出来ることと、出来ないこと、また、得意なことと、不得意なことが、あらかじめ、はっきりと決まっているようなところがあるので、それをよく理解して、使いこなすことが大事である」、とか、「機械やプログラムに対しては、そう簡単に、苦手意識を持たずに、正しい使い方と注意点をよく守って、使用する」、とか、「できるだけ機械やプログラムの最高の能力を引き出して、使う」、とか、「絶対に間違った、むちゃな使い方をしない」、というような、機械やプログラムへの適切な対応に関しては、できるだけ早く修得してゆくことが、大切なのではないか、と思われます。

※当然、機械やプログラムの機能の向上やバージョン・アップというのは、基本的に、ずっと続いてゆくものとは思われるのですが、ただ、地球人類の仕事や生活の様子を見ていると、機械やプログラムに、ちょっと、行き過ぎた過剰な期待や思い入れをしている人が、多いように感じるので、たとえ、どんな機械やプログラムであっても、基本的に、出来ることと、出来ないこと、それから、得意なことと、不得意なことの両方がある、というのは、よくよく理解しておくべきなのではないか、ということです。

 

 続く・・・

 

 

 追伸

 今日で、このブログを開設してから、ちょうど2年になります(パチパチパチ・・・)。

 お陰さまで、もうすぐ、記事数は、1000になります(パチパチパチ・・・)。

 記事をたくさん書いてゆけば、そのうち、誰でも、何か疑問があれば、あちこち探してゆくうちに、自分の興味や疑問のある内容が探せるような状況になるのではないか、と思って、いつも、コツコツと書き続けているのですが、そうした努力が実って、もうすぐ1000回を超えます。

 多分、こんな感じで、1万回を超えると、たいていの人の疑問や興味のあることは、すぐに、何でも分かるような文章の塊になるのではないか、と思うのですが、その前に、「アセンション」というタイトルなので、どこかで、このブログのタイトルが変わる日が来るかもしれません。

 最近は、私が忙しそうなので、何となく、質問がしづらそうな気がするのですが、まあ、何か質問がある方は、なかなか、すぐには、答えられないことが多いのですが、お気軽にどうぞ!

 

 ただ、最近は、ちょっと前から、またまた、いろいろ、かなり執拗な妨害活動が活発化していて、ちょっと辟易(へきえき)としているようなところがあります(多分、近いうちに、大きな地震を起こすための陰謀の一端じゃないかな・・・)。

 

 個人的な話は除いて、日本にいて、「おそらく、後の後ぐらいの所に、闇の勢力と思われる人々が関与しているのだろうな・・・」、というような、ちょっとした変な嫌がらせのようなものが行われる場合には、現在だと、だいたい、三つぐらいのケースがあります。

 一つめは、ちょっと、訳の分からない工事関係のものになるのですが(もちろん、有益なものも多いので、全部という訳ではないのですが)、これは、建築だったり、土木だったり、いろいろあるのですが、ちょっと、かなり無駄な不必要に感じられるものや、あるいは、異常に期間が長かったり、騒音や振動がうるさい場合には、相手が、どう出てくるかは、ともかくとして、いろいろな所に当たってみたり、工事業者や担当の所に、はっきりと申し入れた方が、賢明だと思われます。

 私の経験だと、どう見ても無駄な不必要と思われるような、異常に長い工事の騒音や振動で(いったい、どこから、そんな大金が出ているのか、いつも、とても不思議でした)、霊的な仕事が、非常にやりづらくなったり、コンピューターや物が壊されたり、健康や休息が害された経験が、とても多かったです。

 二つめは、役所や学校関連(もちろん、真面目に仕事をしている人も多いので、すべて、おかしな人であるという訳ではないのですが)での、ちょっと訳の分からない口実の調査や、高飛車な命令みたいなものがあることがあるのですが、特に、子供関係の学校関係では、時々、ちょっと常識では、全然、考えられないような、雑な仕事や高飛車な態度でねじふせようとしてくる人がいて、かなり辟易しました。

 多分、普通の会社員だと、何らかの処分か、クビになるのではないか、と思われるような話が多かったのですが、日本の学校(大学も含めて)の場合だと、そんな感じでも、平気で大手を振って、「先生」や「教授」と呼ばれる仕事ができるようなので、私は、近頃、流行りの生活保護の問題よりも、こうした形で、大した仕事もせずに(というか、市民に迷惑をかけながら)、合法的に、大金をくすねている一部の役所や教育関係の人々の方が、よほど問題なのではないか、と思います(確か、民主党の元々の公約は、そんな話だったから、みんな投票したような・・・)。

 三つめは、一部のマスメディアで行われている、かなりダークな話題作りの弊害なのですが、これは、霊的なことが分からないと、なかなか、よく分かりづらいと思うのですが、実は、常にマスコミの話題の一部に(あと、最近は、ネットもかな?)、訳の分からないような、どろどろとした、暗い怖そうな話題をいれることで、多くの人々の意識の一部に、まるでくさびでも打ち込むように、ある一定の世論の方向に、マインドコントロールしてゆけるようなところがあったのです(当然ですが、これもマスコミの表に出ているようなところではなくて、裏の裏みたいなところで、隠れた操作を行おうとしてきます)。

 もちろん、暗い話題であっても、多くの人々が知るべき情報はあるので、そうした情報を報道する責任のようなものが、マスコミの側にあるのは、確かに事実であるのですが、私が言いたいのは、そういうことではなくて、前にも述べたように、知識や情報というのは、単に知るだけでは、そうした知ること自体が、特に、楽しい、とか、役に立つ、ということがない場合には、あまり意味がないので、要するに、そうした、どろどろした、暗い怖そうなニュースが流れてきた場合には、常に「自分としては、何をするべきか」、「その情報を、どう役に立たせるべきか」、というような視点を持っていないと、はっきり言うと、単に、訳の分からないような、暗い恐ろしい話を聞いても、全然、意味がないようなところがある、ということなのです。

 このまま話を続けると、長くなりそうなので、ちょっと省略しますが、要するに、何となく、自分の意識が、ズボッと落ち込むような形の、暗い悲しい話を聞いた場合には、単に情報を聞き流しにして、うのみにするのではなくて、「それでは、その情報を、自分の仕事や生活に、どう活かすのか」、とか、「いったい、どのような対策をすればよいのか」、とか、「何か、自分として、できることはあるのか」、というような視点でもって、もう少し能動的に考えるようにしておかないと、霊的に見ると、ちょっと危ないところがあるのです。

 話が長くなるので、これで終わりにしますが、日本の場合は、第二次大戦以降は、威張り散らして、勝手なことばかりするような強大な軍隊もなければ、一般市民の生活を隅々まで取り締まるような秘密警察もないので、まあ、いっけん、わりと平和で安全である、と言えるのですが、ただ、日本の場合にも、ちょっと、よく考えてみると、普通の市民の感覚からすると、訳の分からないような、反市民的な活動をしているような人々も、まだまだ、少なからずいるようなので、やはり、それなりに注意が必要なところもあるのではないか、ということです。

 

Cecye(セスィエ)

2012年6月3日 9:06 PM, 中国思想 / 科学、テクノロジー



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