3、一定期間ごとに、自分の身の回りにある物は、自分自身の幸福や実用性の観点から見直して、リサイクルに回すか、捨てるようにしないと、そうした物が、霊的な縁になって、自分の肉体や精神に、あまり良くない影響を与えることがあるので、注意が必要である
三つめは、これは、単純なのですが、彼らは、とにもかくにも、物、物、物と、物のあり方に、非常に執着があるらしく、いろいろな手段で、私達の身の回りにある物を、霊的な縁にして、いろいろな、いたづらや攻撃を仕掛けてくることが多い、ということです。
この場合の「物」には、大きく三つの種類があるのですが、一つは、本や雑誌に象徴される、いわゆる、いろいろな情報が載っているものになります。
ですから、これは、単純で、定期的に、自分の身の回りの本や雑誌やカタログやポスターのような物は見直してみて、よく考えてみれば、もう読まない、とか、気に入っているわけでもないし、全然、使わない、というようなものは、片っ端からリサイクルに回すか、捨ててしまえばよい、ということになります。
二つめは、単純に、身の回りの物になるのですが、これも、定期的に、普段の持ち物や身の回りの物を見回してみて、全然、使わないものばかりでなく、何となく、その物の辺りが暗く見える、とか、何か、嫌だな、と思えるようなものがあったら、これも、片っ端から、リサイクルに回すか、捨ててしまえばよい、ということになります。
それから、三つめは、これは、ちょっと分かりづらいのですが、いっけん、普通の物にしか見えないのだけれど、よく見てみると、「これって、一種の宗教グッズだよね」、というようなものが、私達の身の回りには、結構、数多くあるものなので、そうしたものについては、時々、よくよく冷静に考え直してみて、そのまま、自分の側に置いておくか、手放すか、はっきり決めないといけない、ということです。
それでは、それは、いったい、どんなものが、それに当たるのか、というと、主な例としては、次のようなものになります。
①何らかの宗教思想や教えが書かれているものか、あるいは、そうしたものが、バックに濃厚にあるものが、それに当たるのですが、自分が、それを、とても気に入っているなら、よしとするにしても、本当は、あまり気に入っていないのであれば、思い切って、処分した方が、賢明である、ということになります。
②これは、現代人には、まだほとんどよく分かっていないのですが、実は、霊的に見た場合、ある特定の歴史観(その国や地方の歴史を、どのように見てゆくか、ということ)を受け入れるということは、即、何らかの宗教に入信するのと、ほとんど同じような霊的な効果があるのです。
ですから、もし、自分の身の回りに、何らかの歴史に関係する書物やグッズがある場合には(たいてい、それぞれ、独特の雰囲気が漂いますよね)、その歴史観を、自分が、本当に心の底から気に入っているなら、ともかくとして、単に、どこかの誰かの押し売りのような見解に過ぎない、とか、本当は、自分は、そんな歴史観は、大嫌い、ということであれば、自分なりに勉強して、正確な事実に基づいた、自分独自の、自分も、また、できるだけ多くの人々も、最も幸せになれるような歴史観を持てるようにするか、また、全体としては、ともかく、個人的には、単純に、そうした、自分としては、あまり好きではない歴史に関する資料やグッズは、それ相応の扱いにするのが良いと思われます(つまり、手放すか、それが出来ない場合は、使わない時は、きれいに整頓して、ちょっと、霊的に封印するような形で、しまっておくようにする、ということです)。
※それと、もし、学校教育での歴史観が、あまり正当とは思われない場合には(そういう場合には、そうした歴史の記述の箇所が、何となく、ぐちゃぐちゃして、重苦しく思われるのではないか、と思われます)、学校の教科書の場合には、一応、テストなどで、ある程度、点はとれるように、学習はするけれども、実際の事実であれば、ともかくとして、基本的に、その歴史観は、単なる誰かの創作物に過ぎない、ということは、よくよく肝に銘じておく必要がある、ということです(歴史観についての詳しい説明は、他のページを、ご覧ください)。
続きは、何だか、思いのほか、長くなってしまったので、また後日に、別のテーマで書いてゆきたいと思います。
Cecye(セスィエ)