③自分の仕事や生活全般の「幸福指数」をある程度、客観的に見直し、マネジメント(経営)してゆくことによって、現在以上に不幸が少なく、より幸福度の高い新たな人生設計が可能になってゆくはずである
第三には、これは多くの人々にとっては、あまり考えたこともないような内容になるのではないかと思われる内容になってくるのですが、それでは、そうした自分自身の幸不幸の七段階の分類と、それから意図的に幸福を増やし、不幸を減らすような行為をした後には、いったい何をすればよいのかというと、これは現代だとマネジメントの発想と非常によく似ているのですが、そのようにして自分自身の本音としての幸不幸の状態がある程度、客観的に数字でつかめる上に、それを意図的に自分で上げ下げできるということは、今度はトータルの目で見て、そうした自分自身の幸不幸を、まるで会社の経営とほとんど同じようにコントロールすることができるということなのです。
つまり、現在の自分の不幸な状況を改善するためには、この不幸指数の強い自分の行動を完全に止めるか、もしくは全く別の考え方ややり方に変更して、もっと幸福な状態を維持できるようにしたらいいとか、このほんの少ししか幸福感を感じていないある行為を幸福指数の強い、もう少し別の考え方ややり方でやれば、もっとハッピーな生活ができるのではないかなどというように自分の仕事や生活全般を見直して、不幸な状況を減らして、もっともっと幸福に生きてゆくことができるように、自分自身で会社の経営とほとんど同じような形で幸福指数の高い行為を増やして、不幸指数の低い行為を減らすというような自分自身の幸不幸のマネジメントができるようになるということなのです。
この際に重要なのは、以下のような四つの考え方になります。
まず第一には、この場合は、単純に幸福をプラス、不幸をマイナス(普通、不幸はマイナスです)と考えて、自分にとっての幸福度の高いものから低いものまでを数字分けして、3、2、1とランク分けし、それから幸福とも不幸とも感じていないものを0として、それ以下の不幸度の低いものから高いものまでを数字分けして、−1、−2、−3とランク分けしてゆき、その上で、それぞれの幸福に関わる時間を分ごとで区切って、かけ算すると、例えば、テレビを観ている場合には、あるテレビ番組を観ている時には、自分にとっての幸福度は2で、30分観たから2×30で、600の「幸福指数」(自分にとっての時間当たりの幸福の総量)だったが、別のある番組を観ている時には、自分としてはストレスを感じていて、幸福度としては−2だったので、40分観たので−2×40で、−800の幸福指数だった(もしくは不幸度だった)という具合に、自分自身の幸不幸の感覚というものを何となく理解するようなことはしないで、時々ある程度、客観的な数字としてつかむ努力が必要になるということです。
第二には、今度は、その上で単純に自分の本音としての幸福指数の高い行為を増やして、幸福指数の低い行為は控えるようにしてゆき、自分の仕事や生活全体での最高の幸福指数の追求を行ってゆけばよいということになります。
第三には、ただ、みなさんもよくお気づきのように、こうした自分の感覚的な幸福の追求のみを行っていると、自分のやるべき大切な仕事や役割を軽視したり、選挙や政治家のチェックなど、その社会の市民としての義務のような行為を放ったらかしにして大失敗するようなことも十分あり得るので、それゆえ、こうした幸福の追求の際には、それが、たとえ最高の幸福を伴わないものであったとしても、現在の自分の幸福を下支えしているようなお金を稼ぐ仕事や、家庭を維持する役割や、それから、その社会を支える市民としての義務に当たるような行為に関しては、そう簡単には、絶対に手を抜かずにしっかりと行うということが大切になってくるということです。
それから第四には、これは「学校教」の影響の強い現代の日本人には、少し分かりづらいのではないかと思われる内容になるのですが、こうした形で個人の幸福の追求をする際には、絶対に一人だけの世界に閉じこもらずに時々、いろいろな人々に接する機会を見つけては、現在の自分の仕事や生活以外の別の人々の仕事や生活の様子を見てみて、もし、それまでの自分としては全く知らないような、そうした人々が非常に幸福に感じている未知なる幸福の体験があった場合には、意図的にそうした他の人々の幸福な行為というものも時々、実験的に取り入れてみる行為が必要であるということです。
もちろん、そうした行為に関しては、民主主義社会の通常の社会的制約、つまり他の人々に迷惑をかけないとか、自分自身を傷つけないというような基本原則を常にしっかりと守り続けることがとても大切になってくるのですが、ただ、現在の自分自身の仕事や生活の世界だけに埋没して、他の人々の仕事や生活の様子を知らないと、ある程度以上の幸福の追求というのは、決して一人の人間だけでは出来ないものであるということなのです。
このように他の人々の意見や価値観に流されずに、自分自身の本音の感覚としての幸福と不幸というものを明確に数字でランク分けし直してみて、その上で意図的に幸福な体験を増やし、不幸な体験を減らすのみならず、そうした自分の仕事や生活すべての幸不幸の総量というものを、まるで現在のマネジメントのようにある程度、客観的にこのトロールしてゆくことによって、現在以上にもっともっと幸福な仕事や生活のあり方というものが可能になってゆくのではないか、ということなのです。
Cecye(セスィエ)
2011年8月19日 9:07 PM, 人生観、世界観