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霊的に見た日本の神道について Part 2

2、当時の明治政府は、それ以前の幕藩体制から、天皇中心の統一国家にまとめあげてゆくために、今日的には、かなり非人道的な宗教弾圧や宗教統一を行って、全く新たな「明治神道」のような国家教を作り上げていった

 当時の明治政府は、一時的にせよ、仏教を完全弾圧して、天皇中心の神道をある種の国家教に位置づけようしていたようなので、今日的には、かなり問題の多そうな次のような宗教政策を行っています。

 まず第一には、これは、今日では誰でも、ある程度は知っていると思うのですが、神道の中でも、本当は、ほんの一部のちょっと過激な一派に過ぎなかったはずの天皇礼賛派のような人々の思想を取り入れて(元々神道には、たくさんの流れがあります)、当時の明治天皇を現人神(あらひとがみ)に祭り上げると(それ以前は、代々の天皇は、ずっと仏教も信仰していました)、さらに当時の仏教や儒教からの教えを拝借した一種の国家教のような「教育勅語」を作って、国民通津浦々に義務教育で教え込んで、かなり無理やり国家の宗教統一、というか、思想統一を行ってゆこうとしました。

 第二には、これは今日ではあまりよく知られていないのですが、実際には、その時点まで、かなりたくさんの信仰形態のあった日本古来の宗教、つまり、宗教によっては、それぞれの神社ごとに、それこそ祭っているものも違えば、教えも儀式も結構大きな違いがあった神道を、あたかも昔から、ただ一つの「神道」という宗教のカテゴリ—で統一されていたかのような宗教統制を行ってゆきました。

 それから第三には、これもあまり知られていないのですが、その時点で、そうした国家教にとって、都合の悪い昔からの伝統や教えや儀式をかなり強引にいろいろな手段で消し去ってしまっています。

 ですから、こうした観点から見ると、実は、今日私達が、「神道」とひとくくりのカテゴリ—で認識している宗教というのは、言ってみれば、今から大体100年以上前の明治時代に、今日と違って、大部分の人々が、まだあまり国民という意識を持っていない上、昔からの身分階級である武士出身者が、政府の中でかなり強い権力を持っていた時代に、かなり無理やり再整理、再統合された「明治神道」のような要素がかなり強いものだったのではないか、ということなのです。

※これは当時の事情を考えないとかなり分かりづらいのですが、当時の日本は、まだ江戸時代の幕藩体制のすぐ後の時代だったので、各地の宗教は、その宗教が根付いた土地や、その宗教の代々の代表的な庇護者の影響をかなり強く受けていたはずなのです。それゆえ、当時の宗教の実態としては、「この神社仏閣は天皇や貴族につながりの深い宗教(伊勢神宮など)だが、この神社仏閣は徳川家につながりの深い宗教(日光東照宮など)で、それから、この土地の神社仏閣は、昔からのこの土地の有力者につながりの深い宗教だ」、などというように、実質、全国各地を細かくセグメントして、分割している「幕藩教」(幕府教と各地の藩(国)教の共同体のようなもの)のような要素があったはずなのです。そこで、日本を統一した一国家にまとめ上げたい当時の明治政府としては、そうした幕藩教を排して、全国一律の天皇教に統一しようとしたのではないか、ということです(言ってみれば、「廃藩置県」の宗教版です)。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2013年10月10日 9:02 PM, 歴史 / 神道



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