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言霊信仰について Part 3

3、一昔前の多くの人々の言霊信仰への夢や憧れは、当時の王様やお金持ちの贅沢な生活への夢や憧れとほとんど一緒だったのではないか

 そうすると現実問題として、こうした言霊信仰のようなものは、一体どのような扱いを受けていたのかというと、私が推測するには、大体、以下のような二つの内容になります。

 まず第一には、とにもかくにもその宗教において、「言葉が大切なのだ」とか、「言葉は神なりき」というような教義を強調しておくと、その教団の偉い人に信者の人が何か質問してきたとしても、「とにかく聖書には、こう書かれているので、これは神の言葉なので、この通りに考えなさい」とか、「そのように神や教団を批判する言葉は、汚れた悪魔の言葉なので、今後、二度と口にしてはいけない。そうしないと、お前は恐ろしい地獄に落ちることになるだろう」などという具合に、一度決めた宗教の教典を中心にその後、何十年でも何百年でも、ほとんど同じような形態の宗教運営や、ひいてはそうした宗教を後押しする国家運営を、わりと簡単にえんえんとずっとやり続けることができたからではないかということです。

 第二には、これはあまり考えたことのない人が多いのではないかと私は思うのですが、現実問題として、そのような形で「○○よ。あれ!」と言って、どこからともなく、そうした人間や品物がポンと出てくるのは、いつの時代も、ものすごい富や権力を持った支配者の人々だけで、普通の人々が、もし何かを欲しいなら、せいぜい誰かに頼むか、自分で買いに行くか、もしくは自分で一生懸命作業して作るしかなかったはずなので、こうした一昔前の現実から想像する限り、こうした言霊思想みたいなものに多くの人々が憧れたのは、多分、朝から晩まで一生懸命働いても、自分の元に残るのは、ほんのあぶく銭だけだった普通の庶民が、王様や貴族や大金持ちの贅沢な生活を夢見たのとほとんど同じような心境からだったのではないか、ということなのです。

 こうした点から考える限り、一昔前の時代に、朝から晩まで一生懸命働いても、自分の手元には、ほとんど何の富も残らなかった多くの人々の一種の夢や妄想のようなものが、そうした言葉の力で、何から何まで実現してゆく一種の「魔法主義」のような神のあり方に多くの人々を引きつけさせた大きな理由になったのではないか、というように私は素朴に感じています。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年7月3日 9:12 PM, キリスト教 / スピリチュアリズム、霊界 / 宗教、道徳 / 神道



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